02

8月

2011

これからの「神社仏閣」との付き合い方

 概略すると、そもそも「神道」とは、神が存在する森羅万象に囲まれた地域住民が平和に暮らすための教えであり、「仏教」とは、人間が本来持つ仏性を生きながらにして実践していく為に個人が持つべき思想であり、日本は良くできた宗教を守ってきたものでる。

 

 しかし最近の日本人は、年始の初詣や子供が生まれた際の腹帯祈祷や七五三等では神社に参り、また葬式やお盆には僧侶との接点がある程度で、普段に「神道・仏教」との接点はほぼ無いのではなかろうか。観光名所としては、京都や奈良では「史跡」として大きな存在価値として残っているとは言え、本来の「精神的な柱」としての存在価値は希薄になったと言わざるを得ない。

 

 それだけに、まだ檀家制度が残る地方とは違い、人の流出入が頻繁な都会では、檀那寺社を持つ人は減少の一途であり、その存続が危ぶまれている。さらに悪い事に、「葬式仏教」という言葉が昨今悪く広がったこともあり、「坊主丸儲け」というイメージを拡大させてしまい、一層の“顧客離れ”を起こしているのもまた事実だろう。寺社側としては、社会福祉法人や学校法人を経営して存続を図る寺社も多いが、寺院を一般開放したり、NPO法人を組成して貧困者の救済にあたったり、またエリア内の寺社が共同で観光客の誘致を試みる動きも最近目にするようになったが、まだ現実的な明るい兆しは見えていない。

 

 

 では今後我々は、神社仏閣をどのように捉えて行けば良いのだろう。

 

 明確な定義がない「神道」は別として、「仏教」とはシルクロードを渡って西洋の哲学にも影響を及ぼしていると言われる程、人間の根本の教えである。色々な人たちが悩みを抱える現代において、最近SNS等で哲学者や思想家のbotのツイートが数多く見られるが、多くは対処療法的な教えであり、最終的には仏教に辿りつく。つまり、人として生きる道を「仏教」で学び、その土地で生きる構えを「神道」に学べば、海外から見た“日本人”のイメージに則した社会が形成されるのではないか、と思う。

 

 つまり本来神社仏閣とは、「お願い」したり「パワーをもらったり」する受身的な場所ではなく、自らの魂を清める為に存在していると解した方が良い。寺社に行くと、少し「凛」とした雰囲気になるが、それは魂の修行を毎日行う僧侶が醸し出す“空気”がそうさせるのではないか。よって、海外では教会で「懺悔」をしたりするが、神社仏閣も同様に、実生活の汚れを洗い流す場所として存在させた方が良いし、神社仏閣も地域住民もそれを前提として、交流を深める努力をすべきだと思う。

 

 写経会や座禅会に参加する人が増えていると聞くが、それだけではなく、食事会やお茶会、または“魂を静めるコンサート”等、一部の寺社で実施するのではなく、全寺社を挙げて国民に知らしめる活動を実施して欲しいものである。また都市部の寺社は、新たな檀家制度を創設する必要もあると思うし、それは可能である。私も今それに取り組んでいる。

 

※ 出来うるならば、寺社に関係のない宗教法人(高額なお金を取る団体)は、退去願いたい。

 

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