金
03
2月
2012
今年のお正月、NHKで「ヨーロッパの温泉」をテーマにした番組を放送していたのだが、その中で常時噴火している火山で有名なイタリア・ストロンボリ島の住民の生活が紹介されていて、つい見入ってしまった。特に火山の周辺に住む住民が、火山の事を「彼」と呼び、「彼は怖い時もあるけど、彼無しでは生きていけない。だからこの島で住み続けているんだ」と語っていた場面は印象深かった。これぞまさしく「共生」である。但し相手は大災害を起こす可能性のある火山だけに、無防備ではない。新しい技術を導入した24時間の監視と、避難所等に配備した監視モニターで、警戒態勢は万全のようだ。そこには根拠のない単なる陽気なイタリア人の姿ではなく、最悪を想定しつつ、覚悟を持った“大人”の島民の姿が見えた。
では昔から地震や津波の被害を数多く経験し、国土の6割以上の森と海に囲まれ、自然との関わりが世界で最も深い国と言っても過言ではない日本人はどうか。「森は海の恋人」で有名な畠山さんは震災後、「これが自然だからしょうがないんだよね」と仰った。カッコ良かった。ただ日本人全体としては如何程の“覚悟”があるのだろう。「自然災害はあって当たり前。でもここに住み続ける」と言える人はどのくらい居るのか?
近い将来太平洋沿岸地域に大規模地震が予測されているが、そろそろ本物の“覚悟”が必要な時期に掛ってきたようだ。
「森羅万象に神が宿る」と信じられていた頃の日本人は、当然“覚悟”というものは備わっていたと思う。しかし、徐々に「道」の思想が薄れ、「欲」が凌駕するするようになり、「引き算から足し算」に世相が変化してきた結果、「想定外」という呑気な言葉が跋扈する世の中になったのだと思う。つまり、五木寛之氏の著書「下山の思想」の通り、「足す」への道は既に終わっており、行き先を想定しながら、“覚悟”を決めて下山するのみだと思う。
しかしこれはネガティブではなくポジティな話だ。嘗ての「道」が存在した頃は「倫理観(エシカル)」がしっかりと存在していた。これは今海外で提唱されている風潮ではないか。日本には元々存在していたことをこれから実践するだけで、世界的には羨望の的となる。3.11後に日本に対して湧きおこった称賛の嵐のように、、、
我欲を取り払い、「住み方・生き方」に対する“覚悟”が決まれば、自ずと人との繋がりは強まり、そこに新たな関係性が生まれる。そしてその関係性は、新たなソーシャル・ビジネスへの芽ともなりうる。我々は単純に昔に戻るのではなく、昔の思想を活かした新しい「道」社会を創り出すことが重要だと思う。“覚悟”を持って。
木
05
1月
2012
皆様、明けましておめでとうございます。
世界的な“不安”が渦巻いた昨年でしたが、どのような年始を迎えられましたでしょうか?
さて昨年は震災の影響等により、年を表す言葉として「絆」が選ばれ、この情緒的な言葉の響きからか感動的なコメントを散見しましたが、私はどうもしっくりとこないところがあります。
そこで辞書で調べると、「馬を縛っておくための綱」が語源で、後に人と人のを離れがたくしている結びつきをいうようになったとしている。
とすれば、「絆」という言葉は、良かれ悪しかれ存在する、あるいは発生する「手かせ、足かせ」の事であり、そこには余り感動的な意味合いは多くはなく、寧ろ「責任」に近い意味が強く存在していることになる。
「夫婦の絆、親子の絆、地域の絆、日本人同士の絆、、、、」と、数多くの「絆」が感動話と共に報じられていたが、言葉を正確に加味した上で判断すれば、「絆」とは「関係性を維持継続するためには、倫理に基づいた行動をせよ!」ということになるのである。
「絆」は「紲」とも書くらしい。
つまり「世を繋ぐ糸」。
「絆」という本来の意味を理解した上で、“感動”ではなく“倫理”を求めて「世を繋ぐ糸」をより強くする活動を心がけたいものである。
本年も宜しくお願い致します。
木
18
8月
2011
日本人は、年始の初詣やお盆やお彼岸でのお墓参り等を通して、一年に一度は合掌をする。この合掌とは何を意味するのだろうか。
仏教的には、右手が仏で左手が自分自身として、合わせることで仏への帰依を表すと言われているようだ。キリスト教やイスラム教でも形は違えど、礼拝する際には手を組み合わせる形をとっている。
ただ私は少し違った解釈をしている。
日本人は特に、「手に余る、手に負えない、手ごわい、手厳しい」等と、物事の判断を手の平で図る表現をすることから、手の平は触角の意味合いを持っているとも思える訳で、その手の平を合わせることは、感覚の自由を奪うことで精神と肉体を集中させる意味なのではないかと思っている。さらに合掌をする時とは「弔い」や「祈願」の際だが、この「祈願」とは、そもそも「目指す所により近づく為に、一心に求める」様を指している。つまり合掌とは、「神頼み」をする姿勢なのではなく、心身を集中させて自らの決意を表明する態度にあるという解釈が成り立つのではなかろうか。
では、「誰」に対して表明しているのか?
答えではないが、それは「自分自身に対して」である。「神」や「仏」と言ってしまえば簡単ではあるが、現実的には自らの決意を自分自身に埋め込み、空気感を自ら醸成していくことで、結果として周囲への波及力が高まっていくことにつながっていくからであり、それは実際に良く耳にする話である。しかし、だからと言って神社仏閣が必要ないとは思わない。日本の宗教においては、人間の魂は「仏教」により向上させ、社会での生き方は「神道」によって導かれるとされており、各々の場所は「心」を磨くための修行の場として存在している。例えは悪いが、「金」という欲望にまみれた「パチンコ店」に高貴な空気が存在しているはずもなく、その真逆の存在である神社仏閣は、自らの決意を表明する最適な場として存在しうるのである。
東日本災害の影響もあって、生き方への不安等が積もっている現代だが、逆にこの機会に日本の宗教に関して再考し、神社仏閣とは自らの魂を休ませ再生させる場所であるという認識の下、合掌から始まる生き方を考えてみるのも良いのではないだろうか。
水
17
8月
2011
「知の資源~和紙のデザイン(森島鉱史 著」という書籍があり、その巻頭に坪井則子氏(佐野美術館学芸課長)が書かれた素晴らしい文章があったので、記憶に留めるべく、ここに転記させていただきます。
木から和紙の材料をとる時、
職人たちは木の株を残して枝だけをとり、
木そのものを絶やすことはない。
草を原料とするときは、1年で再生するものを選ぶ。
それは、自然から紙をいただくという敬虔な気持ちと、
自然と共に生きていくための知恵でもあった。
和紙の、優しい中にもどこか引きしまった厳しい表情は、
冷たい水に何度もさらされることから生まれる。
人は、水の力を借りて紙という美を生みだす。
全ての生命にとって欠くことのできない水。
紙にいのちを吹き込むのも、また水の仕事である。
和紙がまだ木や草であったときに、
暖かく育んでくれた太陽の恵みの、最後の仕上げは
紙を乾かすこと。
紙は太陽の光を受けて初めて形になる。
自然が人の手を経てひとつの「もの」に変化する瞬間である。
和紙に死というものがあるならば、
それは役目を終えて土に帰ることではないだろうか。
その土からは、また新しい草木が生まれ、
次の紙の誕生へとつながっていく。
それは死と再生を繰り返す、生命の縮図であろう。
金
05
8月
2011
アニメ、漫画、コスプレ等が海外で話題になり、海外でのイベント開催では多くの若者を集めているが、かといってそれを日本の文化として国が推し進めることにはどうにも、違和感がある。
アニメや漫画は一つのコンテンツとして成立はすると思う。しかしコスプレとは、そもそもオタク族が現実逃避の為に始めたことであり、もっと言うと子供は皆コスプレをしながら成長してきたことを考えると、大人になれない大人の現実逃避癖の何物でもない。それを“日本文化”における「重要なコンテンツ」として国家が輸出を後押しをするような動きには、ばかばかしささえ覚える。もし海外で開催するならば、アニメや漫画を主体としたイベントのみ後援し、コスプレは民間業者により併催する程度で良いのではないか。つまり、アカデミー賞の裏のラズベリー賞の扱いで良いのだ。
確かに、霞が関も永田町も言わばネクタイを絞めたコスプレ族の様なものであるがゆえに、特段異論をはさむことも気が引けるのだが、「日本の文化」という文言を使用する場合には、“大人”としての判別を加えて欲しいと願っている。
また余計ではあるが、秋元氏が手掛けた「夕焼けにゃんにゃん」やAKB48等、所謂ロリコンもののブームに関してだが、AKB48等をメディアでは「国民的スター(アイドル?)」といった表現をするが、それもいただけない、、、「オタク文化」を全否定する訳ではないが、AKB48って、子供とオタク系が喜んでいるだけではないの?所詮「たまごっち」の人間版程度のネタを、メディアが喜んで放送するその体質が自らを滅ぼすことを、そろそろ学んで欲しい。
火
02
8月
2011
概略すると、そもそも「神道」とは、神が存在する森羅万象に囲まれた地域住民が平和に暮らすための教えであり、「仏教」とは、人間が本来持つ仏性を生きながらにして実践していく為に個人が持つべき思想であり、日本は良くできた宗教を守ってきたものでる。
しかし最近の日本人は、年始の初詣や子供が生まれた際の腹帯祈祷や七五三等では神社に参り、また葬式やお盆には僧侶との接点がある程度で、普段に「神道・仏教」との接点はほぼ無いのではなかろうか。観光名所としては、京都や奈良では「史跡」として大きな存在価値として残っているとは言え、本来の「精神的な柱」としての存在価値は希薄になったと言わざるを得ない。
それだけに、まだ檀家制度が残る地方とは違い、人の流出入が頻繁な都会では、檀那寺社を持つ人は減少の一途であり、その存続が危ぶまれている。さらに悪い事に、「葬式仏教」という言葉が昨今悪く広がったこともあり、「坊主丸儲け」というイメージを拡大させてしまい、一層の“顧客離れ”を起こしているのもまた事実だろう。寺社側としては、社会福祉法人や学校法人を経営して存続を図る寺社も多いが、寺院を一般開放したり、NPO法人を組成して貧困者の救済にあたったり、またエリア内の寺社が共同で観光客の誘致を試みる動きも最近目にするようになったが、まだ現実的な明るい兆しは見えていない。
では今後我々は、神社仏閣をどのように捉えて行けば良いのだろう。
明確な定義がない「神道」は別として、「仏教」とはシルクロードを渡って西洋の哲学にも影響を及ぼしていると言われる程、人間の根本の教えである。色々な人たちが悩みを抱える現代において、最近SNS等で哲学者や思想家のbotのツイートが数多く見られるが、多くは対処療法的な教えであり、最終的には仏教に辿りつく。つまり、人として生きる道を「仏教」で学び、その土地で生きる構えを「神道」に学べば、海外から見た“日本人”のイメージに則した社会が形成されるのではないか、と思う。
つまり本来神社仏閣とは、「お願い」したり「パワーをもらったり」する受身的な場所ではなく、自らの魂を清める為に存在していると解した方が良い。寺社に行くと、少し「凛」とした雰囲気になるが、それは魂の修行を毎日行う僧侶が醸し出す“空気”がそうさせるのではないか。よって、海外では教会で「懺悔」をしたりするが、神社仏閣も同様に、実生活の汚れを洗い流す場所として存在させた方が良いし、神社仏閣も地域住民もそれを前提として、交流を深める努力をすべきだと思う。
写経会や座禅会に参加する人が増えていると聞くが、それだけではなく、食事会やお茶会、または“魂を静めるコンサート”等、一部の寺社で実施するのではなく、全寺社を挙げて国民に知らしめる活動を実施して欲しいものである。また都市部の寺社は、新たな檀家制度を創設する必要もあると思うし、それは可能である。私も今それに取り組んでいる。
※ 出来うるならば、寺社に関係のない宗教法人(高額なお金を取る団体)は、退去願いたい。
金
29
7月
2011
先日福井県で「和紙、漆器など伝統的工芸品を高機能化」の記事が掲載された。
非常に良い試みで、その成果を期待するのみである。従来型の既存の素材をベースに、デザイナーとのコラボレーションで新製品発表を行う事例では限界が見えており、素材自体を革新していくことは今後発展的な要素をもたらすものと思える。
但し多少なりとも不安があるのは、商品化した後のその価格帯と訴求内容である。
手間暇掛る手仕事モノは、どうしても高価格帯にならざるを得ない。これは当たり前だとしても、今の伝統工芸産業においての大きな壁とも言える。高いからダメ、と言う事ではなくて、そもそも現在の若年層を中心として、伝統工芸品は“美術品”としての認識が高く、日常品として認知は低い。それ故に、わざわざ高額な商品を購入したいという“空気”が存在しない限り、拡販の可能性は限りなく低いと言わざるを得ない。
伝統工芸品は日本の宝である。しかし残念ながら、“観賞作品”としての認識を突き破るだけのマーケティングを導入しな限り、伝統工芸品の復興はありえない。
よって、日本の伝統文化を現状の生活空間に活かす意義を含めた価値観を持たせたメッセージが付随したプロモーションを展開しなければ、市場の拡大は望めない。
現在私も、微力ながら日本の伝統文化を現代の生活空間になじむ商品開発を行っているが、伝統工芸に関わる全ての方々に対して、このテーマに沿った“一般生活の空気感”の変革を促すプレゼンテーションを前提としたマーケティング戦略を実施していただきたと切に願っている。
水
06
7月
2011
先日全日空のボーイング社製最新型旅客機が公開されたが、機体の可能性以上に、使用部品の35%が日本製であることが殊更強調されていたように思われる。確かに、東レが開発した炭素素材は以前から注目されており、そのような技術が実用化している姿はさすがに誇らしい。しかし、そのような報道内容に対して、7/6付「ダイオヤモンドオンライン」の「山崎元のマルチスコープhttp://diamond.jp/articles/-/13006」にて気になる記事が掲載された。
その内容とは、決してマスコミ報道に反論する内容ではないのだが、日本企業が「下請け」企業として称賛されていることへの寂しさと疑問を表現されている。
確かに同感ではあるが、ただ私は逆に、日本企業は「素材産業の雄」として胸を張る位の方が今後成長する余地があると思っている。現実的に日本の体質を見た場合、「調整能力」はあっても「推進能力」には欠如する場合が多い。つまりディレクションは得意でも、総合マネジメント能力が必要なプロデュースは苦手であると言えまいか。言い換えれば、効率化には異常に能力を発揮するが、拡大路線に対しては判断能力が付いていかないケースが数多く見受けられるということだ。日本がバブル時代、こぞって大企業は海外展開したが、殆ど成果を上げられず撤収した事例を考えると、やはり海外の「ガリバー志向」と日本特有の「一寸法師志向」は存在していると言わざるを得ないからだ。
そうなれば、どのようなキーワードが日本に適しているのか。
それは、一般的な企業が使っているキーワードだ。「ソリューション・カントリー」である。
そもそも、「手に負えない」事には「手を焼く」上に「手に余る」。つまり日本人は、「一寸法師的」思想の中で、微細な創作を積み重ねるのが特筆される文化である。ならば、世界的な関心事である「環境問題」や「エネルギー問題」、さらに様々な効率化を推進する「微細技術」は日本は大得意な訳で、基本技術を開発した上で、そのグローバルな展開に関しては、海外の「ガリバー志向軍団」に任せれば良い。言い換えれば、行政・政治が機能していない日本は世界のR&Dとしての存在を固め、プロジェクト・マネジメントは海外に割り振る仕組みを作っていけば、リスペクトされる国として存在していくと考えられる。
現在手持ち資金を過大に持つ日本の大企業は、経営の効率性と規模の拡大を目指してM&Aに注力しているが、その流れを止める必要はないが、少なくとも「プロジェクト・マネジメント」は国内では難しいということを肝に銘じて実行しなければならず、あくまでも日本は「海外の諸問題を解決するソリューション技術の発信基地」としてのスタンスを堅持し、さらに日本人が自然と共に快適な生活を送るライフスタイルを世界に提供し続ければ、「日本に倣え!!」という風潮が今以上に吹き荒れるものと確信している。
「細かい事は日本に聞け!!」と言わせる世界が見てみたい。
日
05
6月
2011
私は社会に入ったのは、まだバブル全盛の時であり、企業では接待や上司との飲み会が盛んであった。社会もまだ政治家が表裏の経済を左右させるだけの実力がある時代で、20歳代の自分としては、40歳代を迎えた自分を想定して、良し悪しは別にして色々と学ばせていただいたものだ。
ところがバブルの崩壊を機に、あっせん利得罪を恐れて政治家の権限は弱まり、企業も効率化重視の強化で接待などを縮小するなど、企業社会で勉強出来る「大人の世界」は限定的なものとなってきている。
決して縮小原因となる事柄自体が悪いと言っている訳ではなく、それ自体は当然の事と理解しているが、社会のヒエラルキーが明確ではない日本においては、若い頃は企業社会で大人の文化を学ぶ機会が多いため、その機会の喪失が現在の若年層への日本文化への希薄化を一層進めてしまうことにつながるのではないかと懸念しているのである。
「大人の文化」とは、決して夜のクラブへ繰り出したり接待ゴルフにつきあったりするだけではなく、自腹では行けない社交の場に踏みいれたり、日本の多彩な食文化に遭遇し、またそれを通してTPOに応じたマナーに接することを意味する。
そうしたある意味での「大人の文化=上流の文化」を経験することは、「背伸び」を経験することを意味する。つまり現在のように、常に自分サイズでの志向性は間違いはないのだが、上流の文化を知っていることは、向上心の源泉に通じることに他ならない。さらに、日本の上流文化を経験することは、これからの日本文化への下支えすることにも繋がってくると思うのである。
他国とは違う「対」の文化を持つ日本人において、人としてもそして社会人としても、一つ上の文化を学ぶことは成長へと繋がるし、保存にも貢献していくものと感じている。それだけに、株主利益を主体にした過剰な効率経営優先ではなく、これだけ日本文化への関心が高まっている今だからこそ、日本オリエンティッドな企業活動を目指してもらいたいと願っている。
木
26
5月
2011
震災や原発被害を通して、以前に増して日本の経済情勢は不安不安定な状況に変わりはありませんが、しかし「死」を直視したことにより、より一層「生」への意識が高まって、「安心・安全」関連消費の確実な向上と、さらに日本の伝統的文化・産業においては、良好な環境が待っていると感じられます。
「安心・安全」のキーワードが消費トレンドになると、大手広告代理店が発表しましたが、生命のリスクを実感した現在においては常識であり、現実的にも住宅の安全対策に高額なリフォーム代を支払っている事例が多く見られるようです。ただ「安心」というキーワードには、あらゆる可能性を感じています。
「安全」の対象としては、物質的な適正化という意味で捉えると所謂「ハード」的側面での措置をイメージします。つまり、身体の健康・住宅の安全対策・環境対策等がそれに該当するでしょう。では「安心」の対象としては、文字通り「心」に関わる対策となります。
人は自らが死ぬまでに、「安全な環境」が整った上で、心安らかに暮らして行きたいと思うと、最初に金銭的な問題が絡みます。ではそれが解決している中高年の人にとって、次に何を望むのか。それは「家族との想いの繋がり」だと思います。家族がいない人にとっては「社会との繋がり」です。「想いの繋がり」とは、言葉や想い出、あるいは自分の志等の継承を指します。つまり、自分の想いが継承されていくことが幸福を生みだします。
では何故そこに可能性を見出すかと言うと、バブルの頃ならいざ知らず、震災を通して、今図らずも日本人自身が自らのアイデンティティを再考しているところにあります。つまり、「日本人としての自分」というスタンスで「想いの継承」をイメージしている状況が生まれてきていると確信しているからです。
「日本」を意識するということは、生活文化において温故知新が始まることを意味します。よって人としての在り方を教える宗教(仏教)や、究極的なモノづくりである伝統産業への新たな認識のスタート時期としては最高の時期に入ったと言えます。震災がなくとも、いずれは到来する現象だとは思います。しかし、今「日本らしい正しい生活環境」を取り戻すことは、海外が注目している時期でもあり、早急に実行していくことが重要だと考えています。
火
05
4月
2011
既に震災から約1か月が経とうとしています。まだまだ原発問題は解決の目処が立っていませんが、現状は政府に任せざるを得ず、一般国民は次にやるべきことを考えて行かねばなりません。それは、今週日曜日の投票が迫っている統一地方選挙です。
震災直後、海外からは日本人に対して、賛辞の言葉が湧きあがり、現在に至っても日本への支援の声は後を絶ちません、しかし、その一方「日本はタダ集団行動しかできなかった」とか、政府の不適正な情報開示に対する批判の声も増えてきたのは事実です。
そのような海外からの賛辞と批判から見えるものは、日本人の協調性の裏にあるリスク・マネジメント・リテラシーの欠如です。
日本文化はそもそも、神仏習合に代表されるように、海外からの文化を巧く融合させ、生活に活かしてきた土台があります。「サルマネ」と揶揄された時代もありましたが、異文化を受け入れ、さらに質を高める器用さは日本人ならではの体質であったのでしょう。「ガリバー対一寸法師」の例えもありますが、縮みの世界を良しとする文化は、より高度な技術を開発して、精密で美しいモノを生みだし続けてきたわけで、欧米でジャポニスムが一時代を築いたことがそれを証明しています。
しかし一方、アメリカにキャッチアップ(モノマネの連続)することで高度な経済的繁栄を極めた後、2度に渡るバブルの崩壊を通して見えたことは、コミュニケーション能力の欠如もさることながら、モノマネと創意・工夫で成長した反面、リーダーとしての資質が欠如していた事実です。つまり何かをなぞることはできても、リスク覚悟でクリエイティブな道を選択することが苦手なのです。これがリスク・マネジメント能力の欠如であり、社会の成長を阻害する重大な要因となっている事実です。
この傾向は、日本全国でいまだに大いに発揮されています。例えば地方選挙は、団塊世代の方が選挙を取り仕っている状況にあり、明確にこれは確信無きバブルの再来を抱く主導者の存在に左右されている状況と言わざるを得ません。つまり、リスクを考慮してでも次の社会創造への努力をするという態勢とは真逆であり、地域の振興策や産業創造においても同様のことが言え、新たな社会創造の阻害要因となっています。
アメリカでも日本でも、民主党による「チェンジ」が実現しました。しかし結果、特に日本では、「チェンジ」が間違いだったことは明確です。つまり、「チェンジ」しても結局はより酷くなった結果を考えると、後は「クリアー」しか残りません。しかしそれはハードルが高い為、愛知や大阪で芽が出始めたように、キーワードを「トライ」に置き換えた積極的な“心意気”にあります。
海外から政府や行政、あるいは大企業の体質を疑問視する記事は数多く出されています。それは従来型の構造を維持したい妖怪が存在することが原因ですが、これは一夕一朝には排除は出来ません。ならば国民としては、周りから攻め上がるしか手段はありません。それが今回の統一選挙です。「チェンジ」がだめなら「トライ」をして、地方から中央の変革を求めて行かなければ、日本は世界から嘲笑の的となります。今はリスクを考えずに、変革のみを考えて、小さな選挙に臨むことが最大のアクションだと考えています。
合掌!!!
木
17
3月
2011
毎日流れる自然災害及び人為的災害(原発)の混乱状況を見ながら心を痛め、今後の特に被災地の復興がどのようになるのかを案じている。
そんな中、各地で今回の災害に対する復興支援活動が発表、あるいは行われており、オール日本の活動に心強さを感じてもいる。
そこでやや気になるのが、ソーシャル・プランナーである竹井善昭氏が提唱する「東北復興支援プロジェクト」の中身である。救援はプロに任せて後方支援としての募金活動を行うのであれば理解できる。しかしそうではなく、被災者の多くはいまだに現地で難民化しており、その影響は広い範囲に及んでいる状況の真っただ中で、しかも今後の復興に関する方針が見えていない中で、「社会貢献」を旗頭にして若年層からの支持を取り付け、2週間以内に決起集会実施を宣言しているこのプロジェクトは、何の支援を呼び掛けて行くのか疑問だらけである。
社会的に意義のあるイベント或いはグループの形成であるならば、称賛すべきであろう。しかし以前に本ブログでも書いたように、竹井氏は「寄付集めはまさにエンタテイメント」で「ブームを作らなければ社会貢献は広がらない」と宣言している。つまり、「エンタメ」で「ブーム」を作れば社会貢献は拡大していると提唱しているだけに、彼なりの支援策におけるエンタメ度を確認してみたいと本気で思っている。
私は以前書いたように、エンタメ要素はあくまでもプロモーション段階での手段であり、主目的であってはならないと確信している。だが彼は、ブームを作る為にはエンタメを主目的とすることが重要で有るかのような発言に終始し、彼を支持する若年層も同様の意見だ。
絶対的に社会貢献をエンタメ要素で表現しても成功しない単純な理由がある。それは30年以上も継続している日本テレビの「24時間愛は地球を救う」は、結果何も社会貢献ブームを作りだしていない事実だ。この番組は多くの著名人を使い、社会的弱者の方々の生活に密着し、ヒュ-マン・ドキュメントを演出たっぷりに紹介していく内容で、しかも24時間も全国放送している、エンタメの最たるものである。ではこの番組で社会貢献がブームになったか?TVで紹介された施設や人は地元の人たちからの知名度が上がることで何がしかのメリットは有ったと思うし、タレントは、社会貢献というフィルターをいただいたことで好感度がアップしたことは言うまでもない。しかし、ここまでしても竹井氏の言うブームを社会的に起こすことは実現できてはいない。その理由は次回に持ち越すが(マーケティング方式に分析すれば簡単である)、大メディアでも実現できていない社会貢献ブームの創出を如何にして竹井氏が見せてくれるのであろうか。(因みに、「ターガーマスク現象」はこの真逆の要素でブームとなった)
復興支援活動は全国的に発生して当然であり、歓迎すべきである。しかし、何故今回竹井氏の活動を例として挙げ、ややネガティブな表現をするかというと、基本的に復興支援活動は、復興を願う被災者が参加するか、あるいは出来なくても“お金”だけではなくて“心”を通わせる中身でなければ意味が無いと思っているからである。よって、いまだに難民状態を脱しきれていない被災者の状況から逸脱して、一つのテーマで人がお金を出し合いながら繋がり、それで喜び合うということが、何とも釈然としないのである。
今回の被災地の状況は非常に複雑であり、復活をさせるのは地域なのか住民なのか、その視点の置き方も容易ではない。それだけに周囲の人間が、「復興支援」という綺麗なテーマで「貢献ムード」を味わうような軽々しい活動はそぐわないと思っている。
東北地方の復興策への私なりの提案はあるが、いずれにしても大まかな復興計画が見える段階で、本当の意味でのエンタメ要素を活用した、全員参加ができる復興支援活動を実現して欲しいと思っている。
火
15
3月
2011
今回は今だ嘗てない大惨事に加えて、原発問題も加わり社会不安が蔓延している。
被災者の方々の心労を考えれば、居てもたっても居られない状況である。取り急ぎ僅かながら寄付をさせていただいたが、復興という言葉では表現できない位、今後混乱が予想される。
せめてもの救いと言えば、世界からの支援体制が目に見えて拡大したことで、対立軸が緩和されてきたことか。仙石という馬鹿な政治屋が、菅内閣にとって震災はラッキーだった等と発言したり、社会貢献を謳うコンサルが、東北支援をうたい文句に若年層の取り込みを始める等、現時点で言うべきではない発言を行う輩がいる事実は悲しい思いになるが、取り敢えず、先行きの不安要素はまだ多いが、国民そして自衛隊他の努力で一時の悲惨な状況を多少は脱したようにも思えてきた。
ここで考えねばならないのは、岩手・宮城の地域復興の方向性である。
専門家ではないのでよくは分からないが、救援作業が終了次第、本格的な被災地の復興へ向けた作業が始まるのであろうが、見るも無残に原形を無くした土地を如何に活かしていくのか。また、土地家屋や仕事場を失った住民を、どのように次のステップに導くことができるのか。ここが最も困難な部分である。
勿論嘗ての農業や水産業の復活が理想的ではあるが、実現までには少なくとも1年以上は掛るだろうし、住居は公的支援で賄うことができるにしても、果たして悲惨な死者が眠る被災地に住民が戻ることを望むのかどうか。
様々な選択肢を被災者には提供することが必要であり、以前の仕事を従来の場所でしたいとする住民にはその環境を与え、家族や土地・仕事を失った絶望的な想いを持つ住民には、新たな場所での生活をスタートさせる環境を与えるべきだと思う。
今全国では、一人老人の死亡による空き家が急増している。ならば各地域で条例を改正して、持ち主が不明、あるいは放置している家を解放することで被災者に解放し、新たな生活を送る環境を提供することも対策の一つとして検討する必要性もあると思う。
社会貢献の流れは近年大きく拡がっているが、本来の社会貢献とは、人と人の繋がりで新たな価値を生んでいくことにあると思う。つまり様々な寄付活動は根本の問題として重要ではあるが、社会問題を流動化させ、地域~広域~全国へと視点を拡げていく中で、解決に適したエリアや人を見出し対応していく活動が基盤のコンセプトとして重要に思っている。
決して、エンタメ気分で寄付をすれば、それで良し、というモノではないことは明らかだ。
月
14
2月
2011
音楽業界から社会人となり、大手の広告代理店と仕事をするようになり、これからはジェネラリストの時代になると確信した20代後半から、幅広い業種の情報に注視し、マーケットをマクロ的に俯瞰し、一歩先のトレンドを探るように求めていた30代。そして経験則から新たなトレンドを作りだせると思いこんでいた40代。
50代になった今、その過程の正当性がいみじくも崩れ去ろうとしている現実を痛感している。
それは、日本の市場経済が大きく変容していることにある。高度成長期を実体験してきた自分としては、国内経済がこれほどまでに落ち込み続けることは予想だにしなかった。成長を妨げたのは、政治・行政の腐敗の影響は確かに大きいが、昨今の新興国の隆盛に負うところが大きい。つまり後進国は何時までも後進国であり、先進国は何時までも先進国としての地位を保つことを確信してきた奢りに他ならない。
自分自身と日本国内の関係性を考えると、「根拠の無い自信」という共通項を感じざるを得ない。
そこで何がしかの根拠を見出したく深堀した結果でた答えがあった。
それは「特化」である。
ただ、特化という言葉は数年前から重要視されてきた。ここで私が気付いたのは、「特化」とは拡張性を表現する言葉であると。
ジェネラリストは、幅広いパーツを組み合わせる技術を有している。しかし「特化」と聞けば、それは他を寄せ付けない埋没した世界をイメージさせる。しかし、そうではない。「特化」とは、究極的に基本原則を見極めることにより、出来ることと出来ないことを明確にして、出来ないことを他で補充して行けば、新たな文化が生まれるという発想が生まれると言うことである。
そんなことは先刻承知の助(古っ!!)、と言われるかも知れないが、今現在これを実現できていない現状が日本には見て取れる。
つまり、農業と衣服、着物と宝飾、はたまた食器と老人安否等、日本の微細文化を突き詰めて考えれば、車や家電だけではなく、ナチュラル志向の欧米文化に画期的な影響を与え、新たなモノ文化を発信できる要素を持ちえるのが日本であると言えるのではないか。
今後は、ジェネラリストを返上して、特化型ソーシャルビジネスに専念することを宣言すると決意した。但し、誰も関心を示してもらえぬとは思うが、勝手に思い込んでいる。
と言うことで、本日は単なるつぶやきとしてブログ完成である。
お粗末!!!!!!多謝!!!!!!
金
11
2月
2011
PaylessGivesShoes4Kids
実は先日twitter上でささやかな議論があった。と言ってもほぼワンウェイで終了したが、、
それは、ソーシャルプランニングを専門とする著名な方のコラムのタイトルに対して私が疑問を持ち、やや反論的なメッセージを掲載した時だった。
私が疑問を持ったタイトルは「寄付集めはまさにエンタテイメント」である。
私はこのタイトルに対して、「それも必要だが、寄付文化が未成熟な日本において、ブームの発生装置を謳う前に、社会貢献の仕組み自体を見出す<コトの発生装置>が今は重要であり、現状でエンタメ化しても一時的な話題で終わってしまう」と、危惧する想いを述べたつもりである。
これに対して著者からは、「エンタメは人の心を開き、文化を作り、それが社会貢献へと繋がるものであり、寄付とエンタメとの関係性に対しては専門家の方からも信頼を得ている」との意見があり、その後は他の読者による「海外はもっと楽しいのに、日本のチャリティはストイックすぎる」等の発言をリ・ツイートしてくるのみだった。その後私なりの意見も述べたが、全く反論は聞けずじまいだった。
確かに海外のチャリティ・イベントはビジュアル的にもセンスがあり、「Do Something」や「Table for Two」等や、規模が小さな「Humility
now」にしても、「楽しむ仕組み」が備わっており、またその広報スタイルもセンスがバリバリである。では日本のチャリティイベントや貢献活動はと言うと、「伝える仕組み」だけで、コミュニケーションを基軸とした分かりやすく、また共感を得られるような演出は乏しいように思える。この点においては、私も以前からもう少しエンターテイメントを意識した広報活動をしないと労力の無駄になるのに、と思っていたこともあり、そういう意味では著者の発言には同意する部分は多い。
但しそもそも寄付とか社会貢献活動が必要とされているのは、そこに社会的な問題があるからであり、その問題をまずは直視し、サポートし、そして「人・カネ・情報」を社会で循環させることで解決していくストーリーが望まれているのではないか。エンターテイメントが重要なのは、より多くの人の参加を呼び掛ける広報的な演出部分であり、社会貢献活動のメインではありえない。仮にエンタメが最重要であるとすれば、毎年放送している日本テレビの「24時間テレビ愛は地球を救う」は最大のエンタメであるが、その影響でターガーマスク現象が起きたというのか。障害なく日常生活を送る者は、社会問題には疎くなっていく。これはソーシャルビジネスに参加していない人としては致し方ないことである。それゆえに、冒頭述べた<コトの発生装置>を作ることで、一般の人のライフサイクルにおいて社会貢献活動を根付かせることが最も重要と言っている理由である。
現在でもコーズキャンペーンへの参加やエシカル消費を実践したり、ユニセフ等のNGOへの寄付などを通して社会貢献を実践している人は多い。ただ、そのほとんどは海外の最貧国向けの貢献活動であり、国内向けの活動はやはり地味な感じは否めない。国内でのファンドレイジングや寄付税制への期待が高まる中、「金」に関わる状況は改善していくようにも思えるが、業界ごと、あるいは地域ごとにNPO活動を支援するのではなく、全国レベルに視点を変え、規模を拡大し一貫した社会貢献活動ができる環境を整え、その<コトの発生装置>が稼働する際には、是非とも<気づきの発生装置>であるエンタメを活用して「人・カネ・情報」を集め、社会的なうねりを作りだして欲しいと願っている。
水
02
2月
2011
そもそも日本は「精緻」の国として海外では認知度が高い。嘗ての加工貿易国と知られたお国柄の意味も多少含まれるが、特定の技術を細密に設計し直し、より機能性を高めた商品を作りだす能力が非常に高いことを意味している。
何故このような陳腐な概念を持ち出すかというと、現代の国内産業の動向が、いまだに定まらないことへの不満からだ。「もの作り日本」とか「クール・ジャパン」とかというキャッチフレーズはマスコミで踊ってはいるが、須らく製造技術/商品の輸出への単純なプロパガンダであり、それは持ち出しオンリーで、国内産業の活性化を真剣に議論された状況には程遠い感じがしてならない。
「微細」と言えば、古くは海外で多く使われていた「扇」が日本に入り、「扇子」として生まれ変わり、単に風を起こす扇が、折り畳まれることで持ち運びが便利になり、その狭い世界には風景が描かれ、日本の伝統芸能において重要な道具として定着するようになる。これが海外に輸出されることで驚きをもたらすのだが、このような現象は庭園や襖、はたまたウォークマンや時計などでも伝承されている。因みに米粒に描かれた世界最小の絵は日本人が描いている。また現代ではiPS細胞やナノ技術でも日本は「微細」技術は世界最高峰と言ってよい。ただ、政治・行政がそれを理解していないだけである。
今回このテーマにて訴えたいのは、その「微細技術」を象徴的に国内産業としてフィーチャーするための施策を検討すべき時期に来ていることである。
様々な「微細技術」は日本に存在するが、今回取り上げたいのは「手漉き和紙」である。
実は、手漉き和紙は全国津々浦々存在している。だが、市場性の欠如から廃業寸前の状態があちこちで見受けられる。
そもそも手漉き和紙は、外来種である。しかし日本に伝達されて以来、日本独特の進化を持って現代に受け継がれ、世界広しと言えども、洋紙や外来和紙を含めて最も美しいとされるのが日本の手漉き和紙である。
この手漉き和紙業界が何故廃業に追い込まれているかは、ここで説明する意味もないが、西洋文化に馴染んだ状況により、市場性が低下することで、ビジネスとして成立しなくなったことが当然ながら原因である。
しかし改めて和紙という存在を考えてみたい。
和紙は天然植物を使った混じりっけの無い製品であり、これを室内環境に活用すると空気をマイナスイオンに転換し、健康にも良いというデータもある。そしてその様々な精緻な技法を使った和紙デザインの商品は、海外ではその美しさゆえにニーズは非常に高いのである。つまり、「ナチュラル+ヘルシー+ミヤビ」のキーワードで現代のトレンドに非常にマッチしていることが理解できる。
では、何故国内ではその空気が感じられないのか。
それは、プロデューサーの存在にある。今の日本の伝統工芸産業におけるトレンドはコラボレーションである。つまり、素材に対して著名なデザイナーとコラボさせ、その作品の美しさに酔うことで、一つの世界を自己満足的に終息させてしまっている傾向が非常に強い。
端的に結論を述べると、「作品」は現代では国内産業的には何の意味も持たない。必要なのは生活文化への浸透だけである。つまり、嘗てそうであったように、和紙という素材/商品を如何に生活空間に存在させ、それを愛で、または感じることができる提案をするプロデュースが出来ない限り、本物志向の製品文化は浸透して行かない。
生活空間には、様々な業種が介在する。私は、インテグレーターとして、全業種を俯瞰したメリットを創出し、和紙というものを日本人の生活空間に提案して行きたいと考えているし、皆もそんな産業インテグレーションの概念で、国内産業の活性化に取り組んで欲しいと思う。
火
18
1月
2011
10年足らずで売上1000億円を達成し、アマゾンと結婚したザッポス。その書籍が先日発売され読了した。
ザッポスとは、平たく言えば靴のECサイト運営会社。現在はリアル店舗でも雑貨も含めた販売をしているが、全米で働きたい企業のベスト10に入っている企業である。
果たして何が凄いのか?売上?「靴で1000億」?アマゾン傘下?
当たり前すぎて述べるのは少々恥ずかしい気もするが、それは企業文化にある。
日本企業は小泉政権下、経営の効率化や株主至上主義を重視し始め、今でもそれはまだ残っている。
しかし、そのお手本だったはずの米IT企業が、日本企業のお得意のはずの企業文化を実践して優良企業として君臨し始めた事実が晒された。
但し、ザッポスとはCEOのトニーがIT企業の売却益でザッポスの経営に参加しただけで、ザッポス自体がそうではないのだが、当初はITを活用したドロップシッピングで売り上げを伸ばした企業である。
ザッポスの凄さとは、アメリカには似合わない顧客サービスに特化した企業であるということに尽きる。日本はそもそも「おもてなし文化」を持つ国民性とは言われているが、現在はマニュアル化した表面的なCRMに他ならない。
ザッポスは、自社のコア・バリューを核にして、コールセンターやバイイング等の全てのセクションで、縦軸となる各スキルを向上させるプログラムを設定し、さらにパイプラインと呼ぶ横軸の全社横断的な企業文化の共有を実現した上で、顧客満足度向上に努め、彼らは顧客に対して「Wao!!」を届けると表現している。つまり、企業として顧客に常にサプライズを届けることを主眼とした企業文化を常に心がけているということだ。
顧客オリエンティッドとは日本では聞き慣れた言葉ではあるが、実際に我々は体験しているのか。マニュアル化した言葉は常に聞いている気はするが、私は心が通い合うような会話をネットでも電話でも店舗でもした記憶がない。つまり、いつの間にか言葉や作法等を統一化してしまうことで、顧客の気持ちの動きを無視した一辺倒な対応に終始する文化が当然となっているような気がする。
ザッポスとは、極論を言えば単に何処でも売っている靴を売っているのである。ならば、日本で言うとABCマートと大差はない。しかし全米で急激に優良企業として君臨できているのは何故なのか?
それは心の繋がりを持とうとしていることにある。
つまりザッポスは、無駄を承知で企業のコアバリューを極め、それを顧客に対して適切に提供することで、現在重要な要素となりうる「繋がり」を実現しているということである。
一般消費者のトレンドとして、twitterやfacebook等「人との繋がり」を求める動きは顕著である。但し、シームレスな世界でのバーチャルな繋がりは簡単に実現するが、より一層心に響く「繋がり体験」とはリアルなコミュニケーションである。ザッポスは、コールセンターという生の声と対応の術で、心を引きつけ、ザッポスという企業文化に顧客が参加できたことの喜びを共有させたことで、完全なブランディングが成立してきたことを意味している。
「ローマは一日にしてならず」とは言うが、機械的なコミュニケーションを駆使すれば顧客満足度が高まる訳はなく、無駄を承知で価値を育てる意志が、今の日本企業に掛けているのではなかろうか。そして、それを探求する姿勢こそ、新たなシーン・メイキングが可能な新たな商品戦略が見えてくるものと思えて仕方がない。
金
14
1月
2011
(注)このネタ帳は、決してデータ等に基づく分析の結果により提案するモノではありません。あくまでも勝手提案です。あしからず、、
遅まきながら、あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
今や地方の商店街と言えば「シャッター街」が定番だが、その原因について、当の商店主たちは駐車場問題や大規模スーパーの影響を異口同音に挙げ、消費者としては、「だって買うものがないからね」で終了してしまう。しかし商店主からすると、大手と資本の規模が違う為、簡単に品揃えを増やすわけにはいかないからしょうがない、となる。ではオリジナリティのある商品開発やサービスに対して商店主は努力しているかというと、そのような感じを受ける商店主ははっきり言って少ない。多分相続税や固定資産税のメリットを享受する等のために、店舗を放置しているところも多いのではないか。
そこで決定打というよりは、活性化策の一つとして検討いただきたいのが今回の提案である。
<大手小売業を誘致した「期間限定ショップ」の導入案>
「期間限定」のショップと聞けば、百貨店の催事等が思い起こされるが、実は昨年からルイヴィトン等の有名・無名ファッション・ブランドを始め、大手小売業等も期間限定でショップをオープンさせている。その目的は、日本人が「限定」好きということもあるが、リスクを最小限にした継続性を担保しないコンセプチャルなインパクトを与えることにある。また東急ハンズ等は、地方展開していないため、スポット的に地方に出店し、品揃えを直に見ていただき、退店後はネットでの購買へと繋げて行く目的もある。
この「期間限定」の考え方は、地方都市においてメリットは大きい。つまり、大手小売業はマーケティング調査データで、出店に不向きなエリアには出店はしないが、期間限定で、しかも出店料が格安であれば、ネットへの誘導の可能性も含めて前向きな検討は可能だ。そして地域住民も今まで触れたことの無いショップで、大都市まで行かないでも限定的とはいえショッピンが可能となり、満足度は高い。さらに最も大きなメリットとしては、地元の同業者へのインセンティブが挙げられる。
例えば、東急ハンズを誘致したとしよう。地元のホームセンターや文房具店では見られないラインアップにお客の話題が集まると、取り扱い商品によって人の購買意欲が如何に向上するかを目の当たりにすることとなる。そうすれば、今までは、「どうせこんな物しか売れないし、、、」と思っていたのが、これからは、アリババから輸入雑貨を仕入れてみるかな?と、志向性が変化してくるかも知れない。とても単純だけど、そんな刺激が地方には今重要なのだ。
シャッター街で、チャレンジショップを開くのも良いだろう。しかし、それはあくまでも売り手にとっての“チャレンジ”であり、顧客への欲望には与してはいない。売り手と買い手の双方にインセンティブが働く施策こそが、シャッター街には必要だ。
現実的に地方都の商店街が、大手小売業を誘致するのは簡単ではない。そこは3万人の人口ではだめだけど、合計20万人の人口への限定ショップ誘致であれば可能性は拡がる為、同一県内の他の地方都市との連携による誘致要請が必要かとは思われる。また、オリジナルでネットでの「お取り寄せ商品の期間限定リアル店舗」型パッケージを作って、地元で試験的にテスト・マーケティングし、反応次第で他府県への拡大につなげるような活動もあり得る。
兎に角、固定型店舗ビジネスの概念を取り払い、流動性から定着性に移行させるビジネスの概念を取り入れることが、今の「シャッター街」に必要なのではないだろうか。
木
09
12月
2010
現在特に都心でブームとなっているジョギングや街歩き。これは、景気の低迷とライフスタイルの変化が大いに影響している。つまり、景気の回復が見えない時期に、環境や健康問題が話題となり、身近に両方を解決する方法として、自転車通勤とかジョギングが見直される結果となった。このトレンドは、街の商店街の賑わいにも一役買っており、結果人の流れが消費を後押ししているようだ。
この傾向を地方に置き換えて考えたい。
まず地方都市に行くと目立つのが、車は見えても歩く住民を見ることは少ない。ショッピングセンターには人が沢山いるのに、、、つまり、地方の人は交通機関の事情もあつが、距離に関わらず常に車で移動していて、普段の買い物はワンストップショッピングが可能で、また休日にも子どももそれなりに楽しめるGMS的なショッピングセンターで済ませ、結果として近所の商店街には殆ど行かない。と言うよりは行く必要性を感じない。結果として地域の商店街はシャッター街になり、商工会等は振興策に頭を悩ます。とは言え、商工会や役所側は地元商店街の活性化を検討するが、一時的な“お祭り的な催し”で一瞬は賑わいを見せたとしても、その手法の中心は補助金や家賃補助等、“金”絡みの対策だけで、滋賀県長浜の様な民間主導のエリア以外は、街のグランドデザインを描く対策は殆どなされていない。これが今の地方の現状だと思う。
では今後ロ-カルエリアはどのような対策を講じるべきか。
ここで、一般的な社会のトレンドを振り返る。つまり、健康・環境・経済を実感した人の行動意識におけるトレンドだ。
つまり、経済的な負担を抑えることで自分の健康と環境へ少しでも改善するなら、その方法を取り入れたいと考える人は確実に増えている。そしてそのマインドは、例えローカルなエリアでも同様であり、もし都内と同じような環境であれば、行動を起こすであろう。しかし、地方都市には行動を起こす為のインセンティブが見当たらない。おしゃれな場所も、シンボルタワーもない。だから、目立つことを恐れ、習慣を継続することを選択してしまう。
そもそも都心のジョッガー増加傾向は、自転車人気の復活に見られるように、確かに経済的な要素がスタートラインであったことは明白だが、しかしそこには同じ行動を共有することで、新たなコミュニケーションが発生し、それを楽しんでいることが拡大要因となっている。この要素はローカルエリアの住民たちの環境に最も欠落している要素ではないだろうか。地元のクラブを結成し、卓球やバレーボールを楽しむ人も多いが、誰でも簡単に実行できて、想いを共有できる活動は、地方には圧倒的に少ない。
であるならば、行政でも居酒屋でもどこでもよいのだが、まずは健康マラソンの音頭を取って実践していけばどうだろう。勿論何がしかの目標は必要となる。最近は全国各地で百数十か所のマラソン大会が開かれており、そこを目標として、皆で健康マラソンを呼びかけて行く。そうすることで、時間が限定されるとは言え、人が街に繰り出し、人が同じような時間に行きかえば休憩や、情報交換で近場で談笑する場が欲しくなる。するとその場で、新しい街に対するニーズの話題になり、ひょっとすると新たなビジネスへの可能性を模索する場として進化することもあり得るだろう。
今B級グルメが話題になっているが、これは地元もそうだが、究極には観光資源としての見方が強い。しかし、本当に人を外部から呼び込むためには、地元民が流動化しなければ、外部の人間も巻き込まれることはないだろう。つまりそこには、地元民が地元を楽しく活用する状況が無ければ、魅力に欠けていると言わざるを得ない。
人が街で動き出す。そしてその土地柄に合った独自の楽しみ方が見いだせれば、その空気を楽しみに外部から観光客が流れ込む。そしてコミュニケーションが始まり、そこにグルメがあれば最高である。
地方都市は、前例主義の有体の振興策等は捨て去り、金よりも人の楽しみ、及びコミュニケーションを作りだす施策を産み出すことが今最も重要である。
金
12
11月
2010
(注)このネタ帳は、決してデータ等に基づく分析の結果により提案するモノではありません。あくまでも勝手提案です。あしからず、、
全国的に家庭向けクリーニング店は存在している。しかし、この10年間で店舗数は約20%(136,751店+無店舗346/2008)、世帯当たりの年間支出額は13,777円(1999年)から8,132(2009年)へ40%も減少しており、市場は縮小傾向にある。この要因として目につくのが、当然景気低迷による節約志向があるにせよ、家庭内で洗濯ができる繊維素材の開発や、洗濯機の高機能化やドライ用のコインランドリーの出現等だ。つまり今後クリーニング店経営環境においては、減少要素は存在するものの、上昇要因は見いだせない。
そこで今回の提案です。
<主要顧客に的を絞ったサービスの追加>
現状のポイントとして下記の3点をピックアップ
・ ネットの検索傾向として、「クリーニング宅配」での検索数は徐々に増加傾向にある。
・ 年間支出額が最も多い世代は50~59歳代で、次に40代、60代と続く。
・ 店舗における1か月以上の滞留品が30%を超える。
・ 嘗て主流だった集配サービスが、人件費の問題で15%まで低下している。
上記のポイントと現状の社会的な現象と合わせると、現実的な需要の形と社会問題を解決させる新サービスが見えてくる。つまり、滞留品の減少と顧客のニーズとを満たす為には、従来の集配業務を復活させる必要がある。集配によるコストは多少なりとも料金を回収する必要があるが、現状以上の値上げはやはり顧客離れを引き起こす可能性も否定出来ない。ではこの集配業務をどのように実現させるか。
今の日本では、独居老人の問題が発生している。表立った問題は身寄りのない老人問題だが、潜在的には都会で暮らす子どもを持つ地方の独居老人問題も存在している。地域経済不況の影響で都会で働く子どもたちは、田舎に暮らす親への心配はかなり深刻な面もある。
そこで、集配のために町を巡回する担当者が、都会に住む子どもから有料で依頼を受け、定期的に親御さんの映像を撮り、現況報告を行うサービスを付加して行くのはいかがだろうか。
その名も「大丈夫.COM」。完全ローカルwebサービスである。
自社でサイトを構築し、依頼者を募り、月額制でサービスを提供する。現在でも「高齢者安否確認サービスhttp://www.genkidenwa.com/」等のサービスがあるが、現存しているシステムはいずれもリアルな健康状態を十分把握したり、話を聞いたりして、場合によっては病院や介護士に連絡するようなシステムにはなっていない。この場合だと、担当者が顔を見て直接話ができて、しかも親が話す映像を確認することが可能だ。
町を巡回し集配業務をこなしながら、老人の安否確認を映像によって親族に伝えるサービスなら、子どもも安心でき、しかも月額利用料の収益も見込めてくるため、集配業務用のコストも負担可能となるだろう。
月
08
11月
2010
(以下は10/30 twitterにて投稿したツイートです)
新興国を含めて世界のモラルを持った経済が流動化しようとする中、悪の枢軸国なる中国とロシアに隣接する日本は、まるで世界の三角州に見える。ただこれは孤立化だけではなく、休息の場所とも捉えられる。良い側面もありえる。
インバウンドを強化することは、より一層日本文化を磨きあげる必要がある。観光地や伝統産業の更なる強化が重要。法改正をして、観光地に長時間滞在出来る施設の増設をしたり、各地で空き民家の活性化に予算を割り当てる必要がある。
今若年層には社会貢献ブームが拡がっているが、海外向けに寄付して満足しているのではなく、地味には拡がってはいるが、地元の伝統産業を絡めた◯◯ツーリズムを全国規模で構築し、身の周りの貢献活動にもっと眼を向ける必要があると思う。
月
25
10月
2010
全国の事業所の約98%、全従業員数の約88%が中小企業に該当するとされ、大企業の海外移転が始まる中、地域社会へのその影響は計り知れない。
そこで、これからの地域経済を考える上で、どのような可能性がありえるのかを、突飛なアイデアも含めてここで提案をしていきたいと思う。ご注意いただきたいのは、詳細なデータに基づいた未来予想ではなく、あくまでも私の“空想”である。
今回は、ほぼ全ての市町村に存在する「乗合バス事業」を取り上げたい。
民業のバス会社の約60%強と、公営のほぼ全てが赤字経営であると言われている。その原因とは、都市と地方とでは異なると思われるが、地方のそれはマイカー保有率の増加に負うところが大きいのではないか。さらに増加した高齢者が、ドア・ツー・ドアでのサービス可能なタクシーを優先利用することも、利用低下を招いている。
バスの経営企業は、地元の要請もあり、減便とバスの小型化によってコストの低減化を図るのが精一杯の状況と思われる。
本日は地方のローカル線のバス事業を考えたい。
そもそも地方でのバス利用者を想定すると、まず通勤・通学利用はまず少ないと思わざるを得ない。比較的若い世代はマイカーを利用して送り迎えをし、子供の通学で必要な場合は、学校まで親が送ることで用は足りる。となると、利用顧客は高齢者となる。しかし、元気な高齢者は現役で車を運転するのが一般的。残るは車が運転できない、つまり80歳前後以上の高齢者が残る。
では80歳前後以上の高齢者における日々の生活での問題は、買い物である。特に山間部に暮らす高齢者は移動の手段が限定されており、タクシーを呼んで買い物に出かける人も多いと聞く。
これはヒントにならないか?
現在都市部では、スーパーの宅配サービスが充実しているが、地方ではまだ未整備なところが多い。この買い物宅配サービスをどのようにしてバス事業に取り込むか?
★ 提案内容:「バスを移動販売車として活用する」
地元の農家や農協とタイアップして、地元の野菜やその他必需品を満載したバスを定期便で市内を走らせ、停留所に高齢者を呼び商品を販売していく。当然、車内の座席も僅かに残して乗合機能も持たせる。高齢者は、時間への拘束性は低い為、販売による移動時間の変動は大きな問題にはならない。多分。
これが実現するのならば、地元産の野菜の消費は向上し、移動手段でしかなかったバス事業の幅が拡がり、さらに高齢者の買い物の利便性が向上する。
地方における産業振興は、全国チェーン店舗の収益増加による税収アップにあるのではなく、地元の商品を地元で消化し、お金を地元で回転させ、蓄積させ、地元に再投資していくことにある。そのことをポイントにして提案してみました。
今回は第一回目でしたが、着想次第、さらにふざけた、いやいやまじめに考えた「ビジネスネタ」をアップしていきます。
金
10
9月
2010
本来の「企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)」とは、全ステークホルダーに対する健全な「説明責任」と、「持続可能な未来を社会とともに築いていく責任⇒社会貢献活動」を包含します。歴史的な流れを見ると、欧州における、ビクトリア朝の思想「Noblesse Oblige」に基づいた「高貴なる者による弱者救済による継続的社会の存続」と、米国における、主にSOX法に代表されるような「企業内の法的整備」が統合されて、現代の企業の倫理観として世界的に認識されています。また、1999年の世界経済フォーラムにて当時のアナン事務総長が提唱した「人権・労働・環境・腐敗防止」に関する10原則を定めたイニシアティブである「グローバル・コンパクト」によって、より一層「企業と社会」の共生関係を厳格化する意味で、CSRを重視する傾向が強まってきていると思われます。
【日本でのCSRとは】
では日本ではどうかと言うと、CSRという言葉は実は1970年代から使用され始めたようですが、実態的には1990年の経団連(当時)の「1%クラブ」(経常利益の1%を社会還元するとした活動)の設立で社会的な認知が拡がったとされています。ただその基本姿勢は、「持続可能な社会の実現」というよりは、「利益の社会還元」にあり、法令順守(コンプライアンス)や企業統治(コーポレート・ガバナンス)等の企業のマネジメントに関する事柄とは別の「企業責任」として扱われてきたようです。
本格的な「日本型のCSR」の始動は1990年としましたが、そこには2つのカテゴリーが存在してきました。それは「フィランソロピー」と「メセナ」です。「寄付(チャリティ)」に関しては、共通した「行為」ですのでここでは除外します。
<フィランソロピー>
まず「フィランソロピー(Philanthropy)」ですが、これはそもそも「人類愛・博愛・慈善」という意味ですが、その精神の下に、事業で得た利益を慈善活動として社会に投入することこそ、「企業の社会貢献活動」であるというイメージを定着させてきました。前述の経団連の「1%クラブ」もこの思想の下結成されています。
<メセナ>
また芸術・文化のスポンサードに始まり、美術館やコンサートホールが相次いで建設された時代がありましたが、この活動は「メセナ/mecenat(文化の擁護)」と呼ばれており、そもそも古代ローマ時代のマエケナスという人物が、芸術家を擁護・保護した歴史に由来した言葉です。1990年に「芸術・文化」の発展に寄与することを目的に「企業メセナ協議会」が設立されましたが、「スポンサー」や「パトロン」ではなく、この「メセナ」を採用したことで、企業による芸術・文化に対する支援を表す用語として使われるようになりました。但し学説的に、「メセナ」とは「フィランソロピー」の一分野とする見方が自然でしょう。
以上の2つのキーワードの下に、各企業は各種のボランティア制度やマッチング・ギフト等の制度を導入し、CSR活動の拡がり方は定着しているかのように思えますが、現在企業内のCSR部門が以前の「メセナ・フィランソロピー」担当部署が名称変更した形で存在している状況を見るだけでも、いまだに「CSR=利益の還元」という大原則が残ったままであり、「日本版CSR」とは、本来の役割からも時代の要請に対しても、時代遅れな感じは否めません。
[進む世界的なCSR戦略]
現在の企業を取り巻く環境は、世界的に大きく変革を求められる傾向にあります。つまり、前述の国連の「グローバル・コンパクト」や米国のSA8000(ソーシャル・アカウンタビリティ・インターナショナル)の提唱、さらには、本年末に発表されるISO/SR26000/(組織の社会的責任ガイダンス規格/世界標準化機構))等を通して、企業は新たな“公”としての役割を厳しく求められる状況にシフトしてきています。
「新しい公」とは、企業が従来外から“公”を支援してきた形とは違い、完全に企業市民として“公”の中で存在していくことを表しています。ISOが本年発表するガイダンスも「SR」となっており、「C」が抜けています。つまり、全ての団体・人の行動基準のガイドラインを示すものです。敢えて記すなら、従来の「C」はCorporate(企業)の「C」ですが、そこには消費者(Consumer)と市民(Citizen)の「C」も含まれており、本来CSRとした方がより具体的ですが、そうではなく、全ての存在に対して「SR(Social Responsibility/社会的責任)」を求めることを表現していると解しています。
その観点からこれからの企業の在り方を考えると、「企業としての成長」とそれを取り巻く「社会の成長・維持」を同根で見つめ直す必要があります。企業の透明性を軸に、社会への自主的かつ積極的な投資・支援を通して自社のブランド価値の向上と「新しい公」のフレームを創造し、企業の成長基盤を確立するサイクルを作りだしていくことが重要です。しかも、企業にとって必要な資金調達に関しても、既に「社会貢献投資(SRI)」が市場の2割を占めてきていることを見ても、投資家は既に視点をシフトしてきていることが分かります。
アメリカン・エキスプレス社が「コーズ・リレイティッド・マーケティング」を実施したのは1983年です。つまり「CSR」より前の話です。同社は「自由の女神の修復」の社会貢献活動が有名ですが、実は世界遺産への保存活動にも注力してきており、それは自社が旅行代理店としての事業にしっかり役立てられています。まさに「地球にWIN、自社もWIN」です。
これからの企業には、昔ながらの「CSR」を捨てて、「SR(社会的責任)」に基づき、「新たな公」のメンバーとして、「新しい社会戦略」を仕掛けていただきたいと切に願います。
水
18
8月
2010
今や若者の社会貢献に対する関心は、ソーシャルメディアでの盛り上がりを見ても明らかに高まっている。またコーズマーケティング/キャンペーンも着実に拡がりを見せており、米国では2010年のスポンサー支出は前年比6%アップの16億ドルと予測されており、米国内のソ-シャルメディア広告費の18億ドルと肩を並べる程の規模に成長している。
では何故今「社会貢献」なのか?
企業活動においては、以前からCSRの見地から社会貢献活動は数多く行われてきたが、若年層を中心とした参加意識の向上の背景には、人間が持つ「客観的価値」と「主観的価値」の関係性が働いていると思っている。
人は「客観的な価値」を持つ「お金」を稼いで、それによりモノやコトを購入し、自分の「主観性」に基づいた価値の消費を行っている。つまり「客観的な価値」を手段にして、「主観的価値」を満たす消費活動を行うことによってバランスをとっている。バーチャルな関係性を構築するソーシャル・メディアが、リアルなオフ会により微妙なバランスを保ち、継続性を維持することに似ている。
ではこのバランスと「社会貢献」との関係を探ってみたい。
日本の60年代から始まった高度成長期には、皆競うように「客観的な価値」を増加させて、「主観的価値」を満たすことに精を出し、「一億総中流時代」を形作り、ブランドを買い漁り、土地を購入しまくるまでになった。しかし、30年後それは弾け、ITバブルやリーマンショックを経験することとなる。そしてやっと従来絶対的な「客観的価値」であったお金の存在に疑問が芽生え、さらに買い続けてきたはずの「主観的価値」が、実は全て「客観的価値」に基づいたモノであり、単なるラベルの域をでないモノであったことに日本は気付き始めた。そして本来の「バランス」を求めて、「主観的な豊かさ」を模索する動きが顕著に見え始めたのは、今から約5年位前からだと思う。ちょうどLOHASというライフスタイルが出始めた時期と重なる。
LOHASというキーワードが出始めた頃言われ始めたのが、「学び」のブームだ。これは世界的な流れとなっているが、高齢者の大学入学が増加したり、資格取得やアカデミック・ツアー等も増加しており、これは全て「自分磨き」のトレンドであり、当然「主観的価値」を具現化する動きでもある。またこの頃「ストーリー・マーケティング」という言葉が拡がり始めたのだが、モノやブランドのその背景にある“意味”を想起させることで、「主観」に訴え興味を深化させる手法である。このマーケティング手法が隆盛を極めたか否かは不明だが、確実に一般人の中に「意味のある消費・生き方」を模索する動きを刺激したことは確実である。そしてここで社会貢献というキーワードが登場する。
社会貢献への意識の向上の直接的なトリガーは、「Room To Read」のジョン・ウッドの存在やソーシャルメディアの隆盛にあるのは言うまでもないが、社会的な下地は既に整っていたと思われる。
モノがあふれる現代において、「主観的価値」を購入するインセンティブは低いだけに、「客観的価値」への欲望も低下していた。しかし、生きた「客観的価値」の交換市場が見つかった。これが社会貢献活動である。言葉は悪いが、新興国あるいは後進国向けであれば、僅かなお金で大きな援助が可能であり、何と言ってもリアルな社会から現実的な成果を得ることができ、「主観的価値」を充足させる。「先進国の奢り」として責められると思うが、当初の入口はその辺りにあるに違いない。そしてtwitterでの地震災害募金活動等の事例がソーシャルメディアで多数喧伝されることで、“民のパワー”に目覚め、社会起業家等の言葉が生まれるような時代に突入して行ったと解釈している。
SR(Social Responsibility)のガイドラインとしてISO26000が本年発表されるが、それにより新しい“公の場”の定義が明確にされることで、社会貢献活動はさらに拡がっていくし、企業も積極的に関与することになるだろう。またさらに多くのNPO/NGOが設立され、社会起業家も増え、数十年に渡って新たな社会が構築されていくと思われる。ただ一つ懸念するところがある。それは、アイデンティティの欠如の問題である。
社会貢献活動とは、問題解決のための活動である。確かに解決に結びつく活動は、精神的な「主観的価値」を満たすことだろう。但し単純にそれだけでは「自我の欲求」を満たすに過ぎない。人の欲求の最終段階は自己実現である。車で例えるならば、「精神の充足」が前輪で、それを後押しするのが「知識・経験・制度」等の後輪が揃って、自己実現に繋がる。自らのアイデンティティと社会性を確立しなければ、「主観的価値」の価値は確立しない。あのナイチンゲールの「自己犠牲のみの貢献は永続性がないため、しっかりとした経済基盤を持って活動すべき」とする発言も示唆に富んでいる。
一般の人でも企業でも、歴史は持っているし、目標も持たなければならない。社会貢献活動という「何となく良いサウンド」に惹かれて取り敢えず乗っかっておこう、程度の取り組みならば、時間とお金と信用を失うだけの結果しか待ってはいない気がする。
水
21
7月
2010
このCMは、米国P&G社の洗剤「Dawn」のCMなのだが、今の段階で見ると「あ~BPの事故向けのコーズ・マーケティングね」と思うのだが、実は放映日は4月13日であり、BP事故の2週間前だった。
そもそもP&Gは以前から「国際鳥保護調査センター」等の野生生物の保護活動をサポートしており、その一環でこのCMを作成したのだそうで、ボトルにも「1ボトル=$1」の表示がされており、通常のコーズ・マーケティングを展開する予定だった。
ところが放映後BPの事故が起き、まさにCMと同様な実際の活動がオンエアーされるなどして、さらに注目を集めることとなり、AceMetrix社の調査で第二期の「最も効果的なTV-CM」ランキングで1位を獲得している。
但し正確には、このランキングはBP事故前に行われており、その時点で699ポイントを獲得しappleを押さえて1位となっているが、事故後はさらに高い734ポイントとなっている。よってそもそも評価の高いCMだったんですね。
P&G社では今回の予見的なCMについて、より一層自分たちの通常の努力を知ってもらえるチャンスとなったが、特別な事はなく、通常通りの売り方を心がけて行く、としている。
まあ、事が事だけに複雑でしょうね、、、、
水
14
7月
2010
「NY発 アスパイアのコーズマーケティング通信」で紹介されているように、Stapleという企業(日本で言うとアスクル?)が、ティーネージャーをコア・ターゲットとして活動するNPO法人「DO Something」に協賛して、新学期となる9月までに全米1300万人の貧困層の子供たちへ必要な文具などを全米から調達しようというコーズ・キャンペーンを今年も実施している。昨年は750,000ドル以上(物資含む)を調達しているようだ。
このstapleという企業はグループで2兆円規模の売り上げを誇るグローバル企業である。そしてその企業理念(Soul Accomplishment)は、「環境・コミュニティ・多様性・倫理」であり、この達成こそが「選ばれた雇用者であり住民となりうる」として、多様な社会貢献策を実施している。
日本でも同様な企業理念を掲げ、「環境と地域」に根差したCSR活動を行っている企業は多いが、この企業の特筆すべきところは、数百のNPOへの寄付もさることながら、本社があるボストンにこだわり、数多くのCSR活動を通じて地域の指導者を育成したり労働市場を作りだしているところにある。つまり「地域社会」貢献活動を徹底しているのである。
全米で起こる社会問題に関心を向け、サポート活動を行いながら、自社の理念を元に地元ボストンで子供から大人までの教育プログラムを提供し、さらに自社のビジネスをより幅広く継続的に実践できるような社会的システムを構築しようとする試みは、単に「環境に配慮してます」というスローガンとは違って、壮大なブランディング戦略としても評価される。
「子供への教育~社会の秩序~地域の活性化~社会起業家の奨励」の流れは、企業の継続だけではなく、地域の継続に繋がるだけに、現代の日本がお手本にすべき理念であると思われる。
火
13
7月
2010
おふざけCMです。2008年のウクライナの「着メロ」会社のCM。
所謂「もしも」シリーズのコンセプトだが、ちょっと面白い。多分日本では経営陣からNGが出そうな内容だが、本当に最近ほんわかしたCMが少ないですね。
でも海外のCMで、しかもこの内容で主人公が日本とは、、、、何故でしょう????
金
09
7月
2010
「アサヒスーパードライ<うまい!を明日へ!>プロジェクト」はご存じでしょう。ただ、その中身に関しては余り話題にはなっていない。ちょっと残念。
CMではその内容は良く分からなかったが、これは各47都道府県ごとに実施するもので、自然環境や文化財保全のために、対象商品1本あたり1円を寄付するという、所謂「コーズ・キャンペーン」である。アサヒのサイトを見ると特別サイトを立ち上げて、分かりやすく紹介しており、昨年末分の寄付総額は4億6千万円(第二弾/47都道府県合計)となっている。
従来の企業のCSR活動の結果報告よりもしっかりと報告されており、寄付金を贈呈する際にも、寄付先が行う事業の現場に一般の人も参加してもらい、寄付の意義を紹介するなどして、地元密着の姿勢はさすがです。
しかし問題は、安くない寄付金の使い道が明示されていない点だ。
例として宮城県を見てみる。
キャンペーン第2弾として、「ラムサール条約登録湿地を守る」ことをコーズとして、寄付先は社団法人宮城観光協会で、今回は750万円余りが寄付されている。でこの社団のサイトを見てみると、まさに観光情報以外は何も記載されておらず、下層部分の業務内容のPDFにやっとキャンペーンの紹介の文字が見つかっただけ。そしてさらにそこから調べると、どうやらこの寄付金は、この社団から「宝の都・大崎観光振興協議会」というところに流れるようで、「地域の活性化と資源の保全が持続可能なシステムを構築する」ために使用されるようだ。客観的に見て“何となくこんな感じ”のところに寄付金が導入されることになる。宮城観光協会とは、年間予算(一般・特別合計)が1億円程度の団体で、その8%に値する寄付金が発生しているのに、団体としてきちんと一般公開せずに、下部団体に落とし、そこもいまだに用途を表明していない。典型的な独法の仕組みの様で、何か残念だ。
他の都道府県も同様なのだが、結局「コーズ・キャンペーン」として機能させるのであれば、その「目的と成果」を明示しなければ、消費者の理解は得られない。もしアサヒが従来のCSR活動の一環であり、各都道府県の支社の営業サポートが目的であるならば問題はない。しかし、CMでも告知するくらいであれば、一般消費者への確かな浸透を図ることは不可欠ではないか。
やはり「コーズ・キャンペーン(マーケティング)」を実施するのであれば、企業側と受け皿の団体は、目的を明確にして、互いにしっかりと広報活動を行うことでさらに知名度を上げ、地場の産業の活性化を図ると共に、企業側へのフィードバックが図れる仕組みを作らないと、本当の継続的な社会貢献活動は実現しないだろう。
金
02
7月
2010
新規でコーズ・マーケティングを成功させるには、認知度の向上が重要であり、相当量のプロモーション費用が必要となる。よって大企業程効果が期待と理解できる。
しかしそれだけだろうか?
ここでは、地方の振興策に「コーズ・マーケティング」を活用する例を挙げてみたい。
例えば人口5万人程度の地方都市を設定してみたい。
この人口だと世帯数が1万世帯位だろうか。ここで“地産地消”ブランドの野菜や果物を“コーズブランド”として指定し、1点当たり10円を寄付すると想定する。そうすると、毎日どれかのコーズブランド商品1点が購入されるとして計算すると、少なくとも半年で1800万円余りが寄付金となる。
そこで問題なのがコーズ・マーケティングのポイントである。
地方都市の特徴は、商工会等の集まりで異業種が顔を合わす程度で、農協・林業・商業・漁業等の横の連携が少ないところが多い。そこで、「町の特産品を開発するプロジェクトチームを設立する」をテーマに設定し、紐付きの助成金ではなくキャンペーンで集まった寄付金をもとに、各業種合同の試作品開発を開始するのである。商品の開発だけではなく、新種の果物や家畜の生産を始めるのでもいいだろう。そこで何が良いかと言うと、町の特産品ができることだけではなくて、結果として「労働市場」が発生し、市民の参画意識も向上し、町が活性化できることにある。
簡単な例ではあるが、コーズ・マーケティングとは、決して大企業だけのものではなく、「社会的問題点(事=コーズ)」として何をどのように設定するかによって、どんな規模でも活用できることを強調したい。
「一人1日10円」で実施する地域振興策を是非とも導入していただきたいものだ。
水
30
6月
2010
「JustGivingJapan」というサイトはご存じだろうか?http://justgiving.jp/
テレビでも紹介されてご存じの方も多いかと思う。要は、主に一般人が何かのチャリティを主催して、自分が宣言した挑戦に対して寄付を募り、NPO/NGOに寄付を実現させるサービスだ。古田敦也氏がホノルル・トライアスロンに挑戦したり、有森裕子氏が海外マラソンに挑戦するなどして、支援団体へ寄付を行っており、1500件を超える「挑戦」と500万円近い寄付を獲得している。形としては、通常のチャリティというよりは、コーズ・キャンペーンに近い。
欧米と違って、日本には寄付に対する意識は低いとされているが、昨今の社会貢献に対する意識の高まりから、若年層も含めて寄付への壁は大いに低くなっている。そのような状況の中での「JustGIving」の活動は、「寄付を募る」というよりは、現存するNPO/NGOの活動を世に広める意味で意義は大きいと思われるし、景気低迷のこの時期に、「挑戦」を掲げて頑張る人の登場は、勇気を与える意味合いも多いとは思える。
しかし様々な「挑戦」の中で、自分の本業において目標を掲げている例も見受けられる。例えばプロゴルファーが「優勝とシード獲得」を目指すとか、プロ野球選手が「年間10勝を目指す」とか、プロなら当たり前のことを「挑戦」と題して寄付を募っている例がそれだ。しかも寄付先に対する関連性も何もない。「挑戦」と掲げるものが「それ」ならば、プロ選手が全員自動登録されて当然のこととなる。まだダルビッシュ有が宮崎に「1アウト3万円を寄付」の方が、寄付行為としてはまともに見える。また一般の人の「挑戦」にも同様な事例はたくさん存在している。
本来寄付という行為は、現実的に困窮する人や事があり、そこに対して緊急的な対応を施す為に行う行為である。しかし、大規模な災害等ではない場合には、人に知られる機会が少ない。そのために、ある「事」を表明することで共感を呼び、それを通してNPO/NGOの活動を広めていくことに、このサービスの意義があるのではないか。
つまり、≪まず社会的な問題があり、「ある人」が「ある事」に挑戦することでその問題解決のための意思の表明と実践を誓い、そこに人々が共鳴し寄付を行う≫ストーリーが重要であり、あくまでもNPO/NGOが主役で、挑戦者はサポーターという位置づけがあって意義ある活動として継続されると思う。
現在の「寄付の大安売り」は決して文化の形成にはならず、内容としてはNTV「24時間テレビ」以下である。「寄付」に対する姿勢を再考する必要があるだろう。
木
24
6月
2010
米国のワシントンに拠点を置くKaBOOM!は、全米に1700か所以上の公園やスポーツ施設を現地のボランティアと共に建設しているNPOである。
KaBOOM! http://kaboom.org/
このNPOが、今年9月に全米1,254か所で行う[KaBOOM! Play Days]というイベントのアイデアを募集している(サイト画像参照)。因みにスポンサーは、[MOTTS]という果汁系の商品を扱っている企業やNFL等も協賛している。
このイベントは毎年行われているが、このNPOは、貧民地区で公園がない地域に無償で提供するだけではなく、現代の全ての子供たちが抱える諸問題の解決を目指すのが主目的である。
つまり、コンピュータ・ゲームに時間を費やし、他人との協調性もなく、肥満になる子供たちを、もっと外に出て人とふれあい、子供たちとの間で問題解決を図れる資質を育くもうとしているのである。
そしてKaBOOM!のサイトでは、地域ごとのアイデアも閲覧でき、様々なアイデアが集められている。
このような社会貢献活動、あるいは企業からすればソーシャル・マーケティングとなるが、日本でも実施されているが、やはりそのスケールが大きくなればなるほど、ムーブメントとして機能していくのが実感できるため、これからのNPOも全国組織での一体的な活動が求められてくるのであろう。
月
14
6月
2010
米の「Advertising Age(http://adage.com/goodworks/post?article_id=144166)」サイトで表題のタイトルでのコラムが紹介された。筆者は、バークレーという独立系代理店のマーケティングディレクター。
彼はコラムで、今の「コーズ・マーケティング」の多くはプロモーション・ツールと化しており、消費者との一種の「契約(engagement)」前提ではなく宣伝の為の手段となっており、ECサイトでは、バナー広告の過剰表示を強要するような動きが見られ、消費者は辟易する状況が生まれている、としている。
以前に本ブログで、「米国KFC」のコーズマーケティングの問題を取り上げたが、社会参画意識が高まっている現状において、確かにコーズ・マーケティングを取り入れたキャンペーンを行う企業は増加し、「コーズ・ブランド」として売り出す商品も多く見られる。日本でも(別表Google Insgith画像参照)「コーズ・マーケティング」に対する意識は高まり、“専門?”のマーケティング会社も増加するなど、米国のこの現況を真に受けとめる必要がある。
問われるべきは、プロモーションを行う以前の企業姿勢であり、キャンペーンを行った後の「お金」の流れ、そして終了後の寄付先のNPO等との関係性の情報開示である。
つまり実施企業が、「企業として何のために行い、どの位の規模の寄付がなされ、その結果何が変わり、現在何に引き継がれているか」を明確に公開することが最も必要である。
弊社も「コーズ・マーケティング」は推奨させていただいているが、あくまでも、単発的なキャンペーンではなく、「継続可能な」社会の実現をテーマにした活用を提唱しているため、単純な「コーズ・マーケティング」の謳いこみは危険視している。
いずれにしても、twitterやfacebook等の「ソーシャル・メディア」が注目される中、それに乗じた「プロモーション企画」を売り込む業者は自重すべきだし、プロモーション企画以前に、“コーズ”の意味を重視した形で、自社のCSRポリシーやソーシャル・メディア・ポリシーに則った活用を心がけて欲しいものである。
Google Insight画面
月
07
6月
2010
この[Dulux Walls]とはオランダ発祥のペイントメーカー[Dulux]が3月から始めた「Let's Colour Project」というコーズマーケティングである。http://www.letscolourproject.com/our-project/
ブラジル・インド・フランス・英国といった国を手始めに、グレーで囲まれた壁などを、全て現地の人の手で、次々とカラフルに変えていこうというもの。主催が前述の{Dulux]というペイントメーカーであり、ホーム・アプライアンスを手掛けるメーカーであることから、正に自社の強みと、それによる社会の変革を訴えるコーズマーケティングの典型である。
登場する全ての人々は現地の人たちであり、CGを使うことなく本物の映像を編集しており、この2分間の映像はブラジルを始めとしたキャンペーン期間4週間分の編集版である。
見るだけで、何か勇気が湧いてくる。
水
19
5月
2010
ペプシが、23年に渡ってソポンサーを継続してNFLスーパーボールのスポンサーから撤退して、今年1月からスタートさせたのが、「Pepsi Refresh Project」だ。CM放映料が1秒10万ドルと言われる米国の最高視聴率を誇るスポーツ・イベントのスポンサーから、コーズ・キャンペーンへ見事に切り替えたのである。
このリフレッシュ・プロジェクトは、完全一般消費者主導で行われ、「ペプシ=リフレッシュ」をテーマに、「社会をリフレッシュするようなアイデア」 を一般消費者から募集し、投票も一般消費者により行われる。「ヘルス・アー ツ・カルチャー・衣住食・地球環境・地域コミュニティー・教育」の6つのカテゴリーと、それぞれ5千ドル、2万5千ドル、5万ドル、そして25万ドルの枠がもけられており、誰でも参加が可能。既に2月末から寄付先が発表になっており、32件が決定しており、現在も続いている。総額は20億円。
さて、このキャンペーンで気になるのは、その効果である。当然このような巨大コーズ・キャンペーンは初めてであるため、各メディアはこぞって報道しており、宣伝費換算すると、寄付総額及び宣伝費を凌駕するほどの効果はあったはずだ。そしてtrendrrのデータによると、facebook、twitter、ustream等のバズデータも相応には増加している。しかし、コーズ・キャンペーンとは純粋なCSRとは違い、実施要件としてボルビックのような売上が伴わなければ意味がない。つまり、社会貢献とともに、企業も利益を享受しないと、継続性が担保出来ないからである。
現在のところ、売上データは見つからないのだが、twitterの発言を見ていると、どうも収益への還元は限定的と思われる。本プロジェクトは女性をメインターゲットにしているのだが、その女性の発言としては、「ペプシは飲まない。私はクリアウォーターが好きだから」である。
そもそも、カロリーオフのドリンクを持っていたとしても、「ペプシ」と言えば「コーラ」であり、「不健康」のイメージが定着している。前回のフライドチキンの話ではないが、「不健康を買って健康へ寄与する」というイメージを引きずり、購買へ繋がる可能性は高くはない。「ペプシが顧客との関係性を見なおした、画期的なコミュニケションシフトだ」としても、結果がついてこなければ、クリエイティブを活かしたCMの方が効果的とみなされる。
私見だが、コーズ・マーケティングを活用して、商品イメージと収益向上を図るのであれば、テーマを変えるべきである。
つまり、「ペプシ=一瞬の清涼感」とするならば、「緊張感⇒一瞬のリフレッシュ」というシーンメイキングできる事柄を選択してみると、「地雷除去キャンペーン」、「ドラッグ撲滅キャンペーン」が浮かんでくる。「瞬時にリフレッシュしたい時」にテーマを絞れば、商品イメージと合致し、購入者にとっての「言い訳」としても使える環境が整う。どうだろう?
純粋に「寄付」「CSR」として、社会に利益を還元する場合でも、やはり企業イメージや商品特性を考慮したテーマ作りが絶対的に必要だと思われる。
木
13
5月
2010
米国でケンタッキーフライドチキンが展開する「乳癌」教育へのキャンペーンと、同じファストフードの「ホワイト・キャッスル」が実施した(現在は終了したようだ)自閉症の子供たちをケアする協会に対する寄付キャンペーンを比較しながら、ちょっとした論争が起きていた。
KFCは積極的にバケットの購入ごとに50セントを寄付し、総額$8.5M(約7億8千万円)を目標としているのに対して、ホワイト・キャッスルは、「ハンバーガーと玉ねぎの臭いのするキャンドル」(コラムの表現)を販売し、$5万(約460万円)を寄付するとした内容。
論争のポイントは、双方の企業姿勢にあるようだ。
つまり、高カロリーな食品を扱うのは両社共通だが、ホワイト・・は自社の熱狂的なファンのみに訴えて“キャンドル”を売り、比較的少額の寄付を行っているのに対して、KFCは積極的にバケットを販売することで、適切な栄養学を学んでガンを避けようとする行為に寄付をするところに、大きな違いがあるというのだ。
「チキン=高カロリー=ガン患者の増加」とはならないとは思うが、以前マクドナルドが「筋ジストロフィ」の協会への寄付キャンペーンを行った際に、直接的な寄付を途中で止め、診察中に親子で待ち時間を過ごせるハウスの建設に注力したことを例として挙げ、健康を害する可能性のある食品を扱う企業が、直接的なコーズマーケティングを行うのは、問題が大きいということの警鐘であると思われる。
今後増えるコーズ・リレーテッド・マーケティングであるが、対象となる寄付先と企業内容との関係性は、十分注意する必要があるのは当然だろう。
金
07
5月
2010
少し遅くなったが、クラランスが4/1~5/31まで、一部の売り場を除いて、来店客に「フューチャー
・フォー・チルドレン・キャンペーン」の記念ピンバッジを2個配布し、商品購入金額の一部を、「ルームトゥリード」のラオスでの学校建設に寄付されるキャンペーンを実施している。
何故2個かと言うと、一つは自分に、もう一つはだれか身近な人にプレゼントして、想いを共有しましょう、というもの。
サイトを見ると、クラランスは約20年前から社会貢献活動を実行しており、その活動においては、かなりの実績を持っている。
多分女性をセグメントした広報をしているためか、男性陣にとっては認知していなかったが、社会貢献活動は広く広報やPRして欲しいものだ。つまり、このピンバッジが私も欲しい、、、それが理由なのだが、何か問題でも?
兎に角、コーズマーケティングを実施すると、米国では最低30%から70%超まで売り上げが伸び、社会を改善する効果をもたらすとする調査もあるため、日本企業はきちんとしたPRを行うことを前提としたコーズ・リレーティッド・マーケティングを、もっともっと実施して欲しいと願います。
木
08
4月
2010
<コーズ・マーケティングの一例>
2009年6月 食品メーカーのキャドバリー(Cadbury)が、5000代の自転車をアフリカに送るキャンペーンを実施。心を打たれます。
木
08
4月
2010
先日TBSの情熱大陸で放映され(私は知らなかった)「ファンクショナル・アプローチ」で脚光を浴びている横田尚哉氏。次々と公共事業の改善を実現し、「バリューエンジニアリング」を普及させたコンサルタントとして活躍している。
私は情熱大陸のTwitterで初めて知ったのだが、GEの改善手法をアレンジしたとのことで、かつてのシックスシグマの様な手法かと思い、興味を持って彼のサイトを拝見した。
しかし、彼が提唱する「ファンクショナル・アプローチ」の神髄がなかなか見つからない。「それはわかるけど、その先は?」、、、と、やっとYOUTUBEの映像を見て納得した。
彼の今までの実績が公共事業であった点から、すぐにでも理解すれば良かったのだが、彼の強みはずばり「公共工事」にある。
彼は、「ファンクショナル・アプローチ」というコンサルタント業界特有の英語表現のもと、事業関係者のワークショップでディスカッションをリードし、結果として最初に検討されていたものよりも「効率的で機能的」な結論を導き出すことで、事業のポイントを絞り込むことで、無駄な予算は削れることを実証しているのである。つまり、公共事業にありがちな全方位的な視点での事業から、贅肉を取り払い、究極の目的をかなえる事業に集中させることを実践しているのである。
タイトルといい、モデレータとしての彼の資質といい、素晴らしいと思う。
但し、彼が提唱する考え方は、公共事業には適しているが、その他の商売には適用できない。
彼は、商品販売に対しても発言している。
「お客様は、お店に来て何を求めているのか?商品?サービス?そうではない。自分にとっての機能である」と。
これは正しいのであるが、所謂ブランディングの世界ではこれでは不十分だ。単純にブランディングを行う際には、「機能性」の他に「情緒性」を考慮しなければならない。しかし彼の意見は、情緒から発せられるブランドに対する安心感や幸福感等の部分には言及せず、機能性に特化している。これでは、100円ショップなら良いけれど、ちょっと高級感ある差別的な商品には適合しなくなる。
そうとは言え、公共事業は今非常に問題視されていることから、彼の様な優秀なモデレータには活躍して欲しいものである。
木
01
4月
2010
先日とあるデパートに電話を掛けた。外商部向けの商材に関する問い合わせの為だ。
今までデパートに直接話しをして、営業的なセッションをしたことはあるのだが、外商向けは初めてで、普通に交渉に入れるものと思っていた。
が、しかしである。
要件を伝え、概略を説明し、大まかな見解をヒアリングしたかっただけなのだが、散々待った挙句に、「現状の取引が無い場合にはお話を聞くこともできません。何かありましたら、弊社と取引のある企業様を通してお話し下さい」とのこと、、、、、、、、
その企業の取引先の企業を経由して話をすることは、不可能ではないが、商材提案だけのために、関係の無い企業を巻き込むことが失礼だと思い、直接連絡をしているのに、この返答は如何なものか?
デパートにユニクロや赤ちゃん本舗を入れる時代である。別にその企業が悪いのではなく、高級路線を敷いていたデパートが、従来考えられなかった若者志向の店舗の導入を積極化することの意味を考えれば、今後のデパートの可能性を鑑みて、様々な世の中の意見を聞く姿勢が特に今必要なのではないか?
外商という特殊な部署であるがゆえ、なのかも知れないが、この一本の電話対応で、今のデパートの確実な衰退を見ているようであった。
政官財とも、バブル時代を引きずる習慣を堅持することは、即ち没落を意味することを肝に銘じることが必要である。
日
07
3月
2010
本ブログでもご紹介した、ロシア大使館でのパーティ・イベントが3/5に、盛況の中終了しましたので、ご報告させていただきます。
当日は、30数カ国の大使のご婦人方も含めた200人近くのお客様をお迎えして、盛大に開催させていただきました。
ロシア大使館及びプーチン首相への徳扇アート(評価額2億2千万円相当)の贈呈式を始め、日本のトップブランドとして「ゴールドブック」で紹介された徳扇着物の「着物ショー」や、「徳扇ドレス」の初の発表が行われ、海外の要人の皆様だけでなく、日本人の来場者も盛大に盛り上がることができました。
特に「徳扇ドレス」は注目の的で、撮影会がいたるところで行われ、「和のドレス」への注目度は非常に高かったようです。
後日正式な写真を含めてご報告させていただきます。
取り急ぎ、ご報告でした。
水
24
2月
2010
来月3月5日にロシア大使館で露日親善交流パーティが行われます。
これは、十二代藤林徳扇氏が創作している「世界遺産アート」の新作「エルミタージュ」がロシアのプーチン首相へ寄贈することが決まり、その贈呈式を兼ねて[TOKUSEN]ブランドの着物や初めての発表となるパーティ・ドレスのお披露目等も行われ、国内で初めての親善パーティということもあり、数十カ国の大使夫妻が参加され、一般の方も参加が可能となっています。ご興味ある方はこちらへ。
http://www.tokusen-fujibayashi.com
そしてこのイベントで面白いのが、「ウーマンズ・デイ」と銘打って行うところです。
ロシアでは3月8日を「ウーマンズ・デイ(International Women's day)」として祝日となっているのですが、その日は全ての女性を雑事や仕事から解放し、男性は女性に対して敬意を払い、気持ちよく一日を過ごしてもらう心配りをし、地下鉄では花束を持たない女性を見つけることが難しい位の伝統行事だそうで、「母の日」と「バレンタインデー」を合わせたような日のようです。ちなみに、北半球の数カ国でみられるこの「ウーマンズ・デイ」ですが、ロシア以外では、祝日ではなかったり、アメリカではいまだに政治的な内容を持たせたイベントをしているそうです。
「レディー・ファースト」という言葉は、世界共通の言葉とし確立しています。内心は別にしても、まずは女性に敬意を払うことから始めれば、殆どのことがスムーズに流れることばかりのような気がします。前近代的で進歩の無い政治の世界は別として、今や「衣・食・住・遊」で全てに女性が中心で、おまけに「事件」においても存在感が増す一方です。
では「メンズ・デイ」はないのか?
ありました。11月19日を「メンズ・デイ」として掲げている国が多くあります。どうもトリニダード・トバゴが1999年に提唱して、ユネスコのディレクターもサポートを約束する声明を出しているようです。しかし、その内容が、、、、「性別間の良い関係性を見直し、地域や家庭での男としての適切な役割を見出し、健康考える」のだそうです。要は男向けのなぐさめの日。
「女神」に勝るもの無し。
金
12
2月
2010
昔から当然のように使われてきたテレビCMの「キャンペーン中」コールが、最近やけに耳障りな感じがしてきた。「別にキャンペーンしているんだから、ほっとけ!!」なのだが、気になる。
「キャンペーン」をするのは、「何か得な感じ・同じ買うなら」という購入へのインセンティブを与え、「この時期に」という動機付けをすることが目的である。健康食品等の「この後10分間受け付けます」も同様で、ある程度の効果があることは予想はされる。
しかしある商品購入後のアンケート調査では、キャンペーンだから購入した人はごくわずかしかいない結果が示されている。
では何故いまだに「キャンペーン」が多いのか。
以前、ある企業のマーケティングプランを策定しているときに、店舗側からキャンペーンの提案を依頼された。そこで今までの内容を聞いてみると、毎月同じような内容を繰り返しており、その資材購入だけでもばかにならない金額だった。そこでお客様からの評判を聞くと、反応はまあまあとのこと。ただお客様の反応というよりは、販売店側として何かキャンペーンをしていないと不安であることが、継続する理由であることが分かった。
そこで社長の「お客様と末永く良い関係が継続していけるような企業とでありたい」というビジョンを踏まえて、それを実現していくためにも、普段のキャンペーンにもそれを反映させた内容にしましょうと提案してみた。
その企業とは、一般の人が大抵人生で一度は経験する節目に購入する商材を扱っており、購入後は企業との関係性は薄くなることが多い業種だ。そこで、商品には全て個別の品番があることから、それをいわゆる抽選番号にして、年に1回、あるいは2回抽選会を行い、豪華な賞品や旅行をプレゼントする、というのが提案内容だ。つまり、単発のキャンペーンであまり欲しくもない物をもらうより、当たるかどうかは別にして、夢のある商品が当たる可能性が一生続くのであれば、そちらの方がうれしいのではないか。また、その抽選の度にその企業を思い出し、webサイトや店舗にも顔を出すし、口コミも期待できる。さらに販促費が節減できる。そんな思いで提案してみたのだった。結果は多数決で却下、、、残念。
確かに意味のあるキャンペーンも数多く存在しているとは思う。ただ、やみくもに「●●の●●をプレゼント」的なキャンペーン手法は、通用しなくなっていることは間違いない。
何か心がワクワクするような「キャンペーン」を、お待ちしております。
水
10
2月
2010
そろそろバレンタインデーだ。と言っても、僕にはあまり関係はないが、ちょっと「へー」現実。
昔からバレンタイデーには、女性から男性に、義理であろうと本命であろうと送るのが一般的。しかしかしチョコを買う女性の内、“本命”向けは43%で、「女友達」へが74%だという。(2/10 ダイヤモンド・オンラインより)
つまり、「こんな美味しいチョコを見つけたよ!」と友達にプレゼントし、感動を共有することで、コミュニケーションを維持しているということらしく、既に百貨店ではこのトレンドは織り込み済み。
確かに女性は、小さな頃から互いにプレゼントし合うことで感動を共有しながら情報交換を行い、次の感動を模索し始める傾向があることは理解してはいるが、バレンタインデーへも波及していたとは知らなんだ。食事も旅行も、スイーツもファッションも、おまけにライフスタイルも、全て女性向けの市場と化し、男性は単なるお付きの人、という現状もしょうがないね。わかっちゃいるけど、、、
今更ながらに、ハーストーリーの日野社長が提唱されていた、女性における「私が主人公」戦略が、浮き彫りになっております。
月
08
2月
2010
1/26日付日経新聞の「経済観測」で、欧州ビジネス協会会長であり、イケアの日本法人社長として日本進出を成功させた人物、クルバーグ氏の表題のコメントが気になっていた。
彼は、欧州企業は中国やインドは市場として見えているのに、その先に存在している日本は市場として消えてしまっている、と述べている。
確かに、日本の企業業績は「外需型」が業績を回復させ、「内需型」はいまだに回復の気配さえなく、デフレ・スパイラル状態で、未来戦略を担うハトポッポは、宙を彷徨っている。さらに欧州のハイエンドなブランドが日本から撤退し始めている状況からすると、当然だろう。
で、これから日本はどうなっちゃうんだろう?
各国の企業は、新興国BRICsとともに次のVISTA(ベトナム・インドネシア・南アフリカ・トルコ・アルゼンチン)に目が移っている。日本の大企業も同様に、インフラ整備事業やエネルギー関連事業、さらに従来の自動車・電機等の販売網を広げている。ただ新市場には問題がある。国家事業は別として、市場自体が成長段階であるため、需要の多くは低価格・ローテク商品が主流であることだ。つまり、電機・自動車関連は価格競争を勝つためには現地生産するしかなく、鉄鋼なども現地企業にノウハウを導入する形に移行せざるをえない。これは「外需の拡大=国内産業の縮小」「R&Dへの特化=労働市場の縮小」となってくる。さらに日本にとっての後退要因としてあるのが、トヨタのリコール問題。ホンダも抱えてつつも、業績は上向いているが、トヨタは08年の新車販売台数を超える約700万台の回収を余儀なくされており、世界的に不信感が高まっているため、その影響は計り知れない。
そうとは言え、電気・自動車・鉄鋼・化学・精密機器・非鉄金属等の企業は何とか海外で稼ぎ、業績は高まるだろう。株価は上昇し、円安傾向になれば、さらにその勢いは増すはず。しかし、いずれにしても国内労働力への需要は低迷。現状維持か、それ以下で推移し、失業率は10%近くになるのではないか。
内需関連が低迷し失業が増えれば、空前の起業ブ-ムが起こることは自然な傾向。しかし、気をつけなければならないのは、現実問題として起業後5年間に85%が消え失せ、10年以上存続できるのは6.3%と言われる(国税庁2005)事実と、“人脈が命”とばかりに、情報商材を扱うネットワーク・ビジネスや営業目的のセミナーや異業種交流会への傾倒だ。今でも増殖の一途だ。
重要なことは、外需好況企業が生み出す利益を地域ビジネスに還元システム。企業の株の運用で利益をつかむのも良いが、農業や伝統工芸などの廃れつつあるる日本の資産を、企業利益を活用して復活させることが、これからのビジネスには必要なのではないか。
まさに「コーズ・マーケティング」の新しいシステムを創造していけば、バランスのとれたビジネス環境が見えてくる。ような気がする、、、、のだが
水
13
1月
2010
「マーケティングって、どんな仕事をしているんですか?」
先日会合でお会いしたある会社の社長さんから素朴にそんな質問を受けました。一応「企業さんの販売促進なんかの企画をやっています」と答えたのだが、考えてみると、企業が大きくなると「マーケティング部」は普通にあるが、中小企業だと営業部が兼務しているか外部の広告代理店に丸投げしているのが実態で、役割としてはあまり知られていないのもうなずける話です。
また弊社のサイトにも「マーケティングとは」「ブランディングとは」の検索キーワードで訪問いただいているため、簡単に整理してみました。
一般的に「マーケティング(Marketing)」とは、4つの「P」で構成されていると言われます。
これは、自社で開発した商品・サービス(Product)を、どの様にしてお客様に知ってもらい(Promotion)、どこで(Place)いくらで(Price)売れば良いのか、を企画し実行していく業務となります。また「ブランディング」とは、その内のPromotionの範疇にあり、宣伝広告もここに位置しまする。従って本来なら、BtoC型の企業であればある程、マーケティング部門が経営層の下に位置し、各部署との連携を保持しながら業務を行うこととなり、業務内容も多岐に渡ります。
つまり、「マーケティング業務」とは、企業と市場との関係性を構築し、維持管理するための関連するあらゆる戦略を構築・検証していくという重要な業務であると言えます。
但し、前述の通り現実的には、企業によっては営業企画担当者だったり宣伝担当者が兼務している例が多く、「マーケティング=Promotion」という見方が多いようです。
しかしそうかと言って、広告代理店と一緒であるかというとそうではありません。
広告代理店は、お客様の「宣伝」に係るメディアのバイイングとクリエイティブを司ることが役割となりますが、基本的にマーケティング業務は、「市場把握・手法開発・成果検証」がメインとなりますので、事業戦略とほぼ同義語であるため、技術情報だけではなく経済情勢などもそれなりに必要であるため、その辺りの違いは明確に区別してもらえればなと思います。
月
11
1月
2010
綾小路きみまろ氏がブレイクして10年近くが経つが、改めて思ったのは、彼の自己プロモーションの素晴らしさだ。
彼は1980年辺りから高速道路のパーキングエリア(御殿場付近)で、観光バスの乗客にカセットテープを配りまくって、結果として問い合わせが殺到したことがブレイクのきっかけとなったことは有名な話だが、その事実を聞いた時には、「あー苦労して宣伝してきたんだね」位にしか心に留まらなかった。
しかし、よーく考えると、しっかり考えられたプロモーションだったりしてる。(メジャーになるまで確かに時間は掛ったみたいだけど)
プロモーション計画立案時の5W1H分析としては下記の様になる。
・WHO ・・・中高年の女性に(彼のメインターゲット)
・WHERE・・高速のパーキングエリアで(中高年者はバス旅行利用利用率が高い)
・WHEN ・・休憩で降車するタイミングで(買い物やトイレで大抵は降車する)
・WHAT ・・カセットテープを(誰でも使えるメディア)
・HOW ・・手渡しで(フェイス・トゥ・フェイス⇒ダイレクト・コミュニケーション)
・WHY ・・タダで楽しんでもらうために(楽しければ口コミが期待できる)
パーキング・エリアとは、ターゲット層が様々な場所から勝手にやって来てくれる場所であり、ローカルメディアや、ましてやマスメディアを有料で活用するより格安で済むし、おばさまの口コミの広がりはネット並みにスゴイ為、着眼点としては素晴らしく、訴求エリアはかなりの範囲をカバーしていることにはなる。
ブレイクするまで20年近くを費やしたことを考えると、企業活動としてはそのまま真似はできないが、少なくともデータを並べたメディアプランから考えるのではなく、アナログ的な消費者行動の分析をベースにしたプロモーション戦略が重要であることは間違いない。
当然と言えば当然のことなのだが、特に今後注目される地方の企業や団体あるいは個人がプロモーションを仕掛ける場合には、留意すべき点ではないかという気がする。
それと、今後高速道路の無料化が進むと、パーキングエリアが情報のハブ的な存在になるかも、です。
木
07
1月
2010
20年に渡って使い続けたシャープの「目の付けどころがシャープでしょ。」というキャッチコピーが、「目指してる、未来がちがう。」へ今月から変更になった。
んー、何かが違う。
従来のキャッチコピーは、「企業の姿勢・センス・技術力」を身近に、そして少しお茶目な印象で、非常に分かりやすかった。しかし新しいコピーは、第一印象があまり良くない。皆さんはどうだろうか?まあ、関係無いけど、、、、
「目指してる、未来がちがう。」
何処に違和感があるのかと言えば、「ちがう。」という、否定的な印象を持ち合わせる言葉が入っている点だ。知る限りでは企業のキャッチコピーに否定的な語句を使っている例は殆どない。実際には否定的な意味合いでの使用ではないが、文頭に使われているとスムーズだが、文末だと“後味”として多少引っかかりが出てくる気がする。そのため、全体として少し硬く体感的には冷たい印象になっているんじゃないかなと思う。
多分、従来のモノづくり企業としてではなく、それこそ太陽の様に全ての生活の基盤を支える企業としてメッセージを発信し、他のエネルギー関連企業との差別化を図る目的だっとと思う。視点は面白かったのに私としては少し残念な気がする。
ソーラーカンパニーとしてのイメージを確立することがシャープとしての一義的であるのならこんなのはどうだろう?
「人を照らし続ける未来へ・・・・・・・・シャープ」
お粗末でした、、、
金
30
10月
2009
ピラミッド
先日もサイトのオープンの報告をしましたが、今回はアート作品の新シリーズの報告です。
十二代藤林徳扇先生はmユネスコ・グリーティングカード・アーティストとして選出されていることもあり、「世界遺産アートシリーズ」の創作を開始されました。
従来は、プラチナを使った特殊なキャンバスとエメラルドやダイヤモンドといった五大宝石を絵具として使い、そこに琳派の流れを感じさせる世界観を持ったデザインを描いていらっしゃいましたが、今後はその特殊な素材は同様に、モチーフを世界遺産にフォーカスして作品作りをされていきます。
先生の作品は、前述のように絵の素材自体が特殊であるため、写真ではわからない奥行と優雅さと気品があります。
癒しになるかも、、、
水
28
10月
2009
最近百貨店の売り上げが年々落ち込んでいる状況がやたらと目につくが、直接話を聞いても、やはり高額商品が売れないため、目線が下に落ちている感じがひしひしと伝わってくる。
また赤ちゃん本舗やユニクロを導入する百貨店も出ており、ある意味ですでに百貨店事業の放棄とも思える状況が見て取れる。
嘗て百貨店には、その信頼性ゆえに高級ブランドショップが入り、それを目当てに来店者も増え、売り上げを上げることが出来た。しかし、今はブランドショップは個別店舗を展開し、スーパーのGMSでもある程度のブランドが揃い、アウトレットも増え、これではわざわざ百貨店に行く動機が無い。わずかに衣料に関しては、品揃えの優位さで利用価値は大きいが、それでもセレクトショップの方が面白いという見方もある。そうなると残るは食料品しか無いのが現状か、、
しかし、薄れつつある百貨店ブランドではあるが、まだその信頼性は消えてはいない。GMSやセレクトショップでは出来ない売り方があるはずだ。百貨店を若年層のたまり場にして、その存在を消さないためにも、、、ではどうするか?
一つの構想がある。
それは国別にフロアーをセパレートするのはいかが?
まずターゲットだが、当然消費の中心である中高年層。
次に基本コンセプトは「夫婦での憩いの場」。
つまり、アメリカ/イギリス/フランス/イタリア/日本、、、とブランドの国籍別にフロアー設定し、各々のフロアーはその国の特徴的な街の雰囲気を醸し出したインテリアとして、男女混合で宝飾品も含めたショッピング・エリアを作ってしまう。
アメリカ・・・・アナスイ/カルバンクライン/ラルフローレン・・・・・
イギリス・・・ローラ・アシュレイ/キャサリン・ハムネット/マルコム・マクラーレン・・・・・
ドイツ・・・・ヒューゴ・ボス/ステファンシュナイダー・・・・
アジア・・・高田賢三/三宅一生・・・・
のような感じである。
各フロアーには街のセンターにカフェを用意し、国別の御もてなしコースを用意する。すると、各国の食品関連でもフロアーに呼べるし、買い物疲れもここで解消できる。夫婦二人でのショッピングもこれなら、意外と楽しめそうではないか?
「イッツ・ア・スモール・ワールド」である。はたまた豪華な「ドンキ」の誕生だ。
これは冗談ではなく、結構マジな部分がある。
最近の中高年が発する「欲しいものが無い」という言葉を解消する施策である。
つまり、単にマネキンに着せるのではなく、中高年が買う場の雰囲気を楽しめることを基本としている。あちこちと歩き回るのではなく、出来たら一か所で、しかもゆったりとした気分を味わいながらショッピングできることが必要なのである。
これは決してGMSでもセレクトショップでも、またアウトレットでも不可能なのである。
ぜひご検討を、、、、
木
15
10月
2009
<業務内容>
webマーケティング/コンセプト・メイキング/ブランディング/コンサルティング/プロモーション企画/イベント企画/ホームページ制作